人びとが香港に抱くイメージは、きっと映画の中にあることだろう。実際、いざ香港に身をおいてみると、ここで目にする光景や漂っている匂いのひとつひとつに時代の変遷が記録されているということ、そしてこの街には銀幕内外の風物や人間模様が記録されているということに気づく。現実と虚構との境が消失し、映画のなかで出会った人や風景はこの土地の永遠のシンボルとなるのだ。
10:00-11:30 金雀餐庁
ここは香港でいちばん有名な西洋料理の老舗のひとつだ。映画『花様年華(IN THE MOOD FOR LOVE)』のなかでチャウとチャン夫人が一緒にステーキを食べるレストランでもある。60年代の開業から今に至るまでほとんど変わらない店内のレイアウトや装飾は、ほの暗くも華麗な映画のビジュアルスタイルと図らずもマッチしている。
店内にうっすらと漂う煙でほの暗い照明が霞んで見える。Yumeji’s Themeなどの映画の主題曲がリピート再生され、深い栗色の革張りソファー、裏葉色のテーブルクロスが敷かれた幅狭の長方形のディナーテーブルが整然と並んでいる。ここにしばらく座ってみれば、ウォン・カーウェイの光と影の世界に引き込まれてしまいそうだ。
12:30-14:00 ヒルサイドエスカレーター(中環半山扶梯)
セントラル(中環)の商業区と半山の住宅街とを結ぶこの屋根付き屋外エスカレーターは、映画『恋する惑星』(原題:重慶森林)のなかに何度も登場する。全長800メートル、全行程でおよそ20分もかかるこのエスカレーターは、無数のあわただしい都市生活者の忙しい生活を結んでいる。エスカレーターはセントラルのジュビリー・ストリート(租庇利街)を始点として、途中コクラン・ストリート(閣麟街)、ハリウッド・ロード(荷李活道)、シェリー・ストリート(些利街)、モスク・ストリート(摩羅廟街)、ロビンソン・ロード(羅便臣道)を通過し、コンジット・ロード(干徳道)まで至る。エスカレータの脇には興味をそそられる様々なショップがあり、道中は楽しさや驚きで満ちている。エスカレーターに乗って上へ上へと登りながら、もし途中で気に入った店を見かけたら降りてチェックし、コーヒーや冷たいレモンティーを手にぶらぶらしたら、またエスカレーターに乗って上に向かう、そんな楽しみ方もおすすめだ。
15:00-16:00 旧ヤウマティ警察署
3階しかないこの低層建築は、エドワーディアン様式の華麗な円柱形の玄関を持ち、外壁はブルーとグレーで互い違いに塗られている。長く曲がりくねった回廊を歩くと、映画のなかで見たシーンが少しずつ蘇り、あの悲しく感傷的な「再見警察」の歌が脳裏を離れなくなる。九龍地区でもっとも長いこと使われた警察署だったここは、香港では定番のランドマークの一つだ。2016年に新しい警察署の運用が開始されたあと、ここは警察業務には使用されなくなり、対外公開もされなくなった。しかしそれでも「なにはともあれ、とりあえず行ってみる」のが多くの香港映画ファンにとっての特別な聖地巡礼の形なのである。
17:00-18:00 テンプル・ストリート(廟街)
ヤマウティ一帯に林立する老朽化した建物に挟まれるようにしてテンプル・ストリートは存在する。毎日遅い時分になると、入口に立つ鮮やかな赤い牌坊がライトアップされるのも待たずに、商人たちがぞくぞくとテントを持ち出してきて営業を開始する。男性用衣類から手芸工芸品、茶器、玉器、骨董にいたるまで、ここではたくさんの奇々怪々なアイテムに出会うことができる。
賑わいごったがえしながら市井の多様な人間模様を見せてくれるこの場所は、香港の一般社会の縮図だ。また、香港の映画やドラマのなかでも個性あるロケ地になっている。『九龍帝王』(原題:廟街十二小)、『廟街故事(Mean Street Story)』、『食神』、『新不了情(C'est la vie, mon chéri)』などの映画のなかにも廟街の姿を見つけることができる。香港最大の商業テレビ局TVBの『古惑仔』に最も登場する場所でもあり、市井で繰り広げられる恩讐や愛憎の物語をつねに演じる場所である。
18:30-19:30 ビクトリアハーバー
中国一の港であり、世界三大夜景のひとつであるビクトリアハーバー。たとえここに来たことがない人でも、きっとスクリーンのなかでその姿をいくども目撃したことがあるはずだ。海風が優しく吹きつけるこの千年の天然港は、香港島と九龍半島の間に位置する。北岸がチムサーチョイ(尖沙咀)、南岸がセントラル(中環)だ。まるで宝石のような鮮やかな輝きが見る者の目を奪うここら一帯はすべて、香港でもっとも栄えている地帯である。いちばん美しいのは日没の時分だ。ピンクに色づいた空と深いブルーの海が画用紙の上を流れる絵の具のように交わり溶け合い、高層ビルの密集する明かり全体がまるで陽光を受けた水晶のように煌き光る。アベニュー・オブ・スターズ(星光大道)を歩きながら有名人たちの手形を数えたり、スター・フェリー(天星小輪)に乗って欄干にもたれながら遠くを眺めたり、大平山の山頂(ビクトリア・ピーク)に行ってクラシックな赤い観覧車に乗ったり、どれも悪くないチョイスだ。
20:30-21:30 ダデル・ストリート(都爹利街)
TVB、MTV、そして香港映画の多くがダデル・ストリートで撮影を行っている。ダデル・ストリートに行くなら、日が暮れたあとがいいだろう。古いガス灯が生み出すロマンチックなハレーションのなか、百年の歴史ある石作りの階段を歩くのなんて素敵だ。ここはコンクリートのジャングルのなかを縫うように進む小さな路地にすぎないが、しかしその奥には石段とガス灯という昔ながらの痕跡が2つ隠されているのだ。今では香港全土にわずか4つしか残っていないガス灯はすべてここにあり、彼らは高層ビルの間に控えめに潜んでいる。それはまるで長い時間の洗礼を耐え抜きながらこの街を見守ってきた百歳の老人のようである。
22:30-夜明け 蘭桂坊(ランカイフォン)
セントラルにある「L」字型の細い坂道にはたくさんの種類のバー、カフェ、グルメショップが集まっている。通りのいたるところには色とりどりの旗が立っていて、坂を登れば登るほどプライベートラウンジが多くなる。また、この坂の町並みもよく香港の映画やドラマのなかに登場し、あたりの小さなお店は仕事終わりのキャラクターたちが楽しい時を過ごすシーンで登場する。もちろん、ここに来れば比較的高確率でスターたちに会うことができる。蘭桂坊に行くなら、あまり早い時間はやめておいたほうがいいだろう。ここが本当の賑わいを見せはじめるのは夜11時を過ぎたあたりからだ。深夜2時から4時になると、その盛り上がりはピークを迎える。もし祝祭日にぶつかれば、お祭り騒ぎするにはいちばん理想的な場所になるだろう。
—「徐徐」より