雲南大理─自然と文化が交差する理想の居住地

静かな生活に適する同時に人に孤独を感じさせない都市があるとしたら、きっと大理だ。大理はずっと中国人に「詩と遠方」 と見られていたが、それが追求されるようになったのは、その「半分山野、半分世界」という独特の気質があるからである。

半分山野

大理に行ったことのある人は、「大理の野性」に共感する。大理の野性は、雲が野性的で山が野性的で、食べ物が野性的で、雰囲気も野性的である。人と触れ合うときも自身の野性を引き起こす。

「ドアを開けて山を見る」というのは大理人の普通の生活である。大理古城のどの隅に住んでも、ドアや窓を開ければ蒼山が見える。蒼山には、6000種類以上の植物が生えている。冬の雪が解けるたびに、椿、菊、サクラソウ、ツツジ、シャクヤクが次々と咲き、花の海へとつながっていく。

大理の雲景色と蒼山の雪景色も素晴らしい。大理の雲は、人々が雲に対する想像をほとんど尽くした。夕焼け雲、きのこ雲、レンズ雲、羅漢雲、たいまつ雲など、日によって違う。「下関風、上関花、蒼山雪、洱海月(大理の蒼山は雪が真っ白で、洱海湖は月の明かりが湖に投影し、石門関は花が咲き、竜尾関は景色が秀麗だ)」は大理の風花雪月の永遠なテーマであり、その中で「蒼山雪」は特に名高い「風花雪月」のものである。

大理の野性は、作為がなく、すべて自然の神業である。白族はこの地で代々繁栄し、山を畏れ、水を畏れ、自然と神を畏れる。大理に来てしばらく滞在すると、徐々に身体の野性が蘇り、エネルギーも少しずつ回復し、毎日元気いっぱいと感じる。もちろん、自然に近づくことで原始的なエネルギーが得られるのだ。

半分世界

千年ほど前から、大理は雲南の経済政治文化の中心であり、各地から来た文化を包容している。千年後、大理は依然として世界各地の多元文化を結んでいる。今日の大理は、まるで国内外の旅行客の「ユートピア」となっている。世界各地からバックパッカー、アーティスト、デザイナー、歌手、詩人、環境保護者など、みんなが集まって、ここで自分の生活を構築している。

これらの人々の集まりは、西洋料理、カフェ、バーなどの都市要素、そして「詩歌祭、音楽祭、演劇祭、市集」などの文化活動をもたらし、大理を突然に1つの辺鄙な町から小さな趣を備えた新しい文化の発生地に変えさせた。また、独特なコミュニティ文化をもたらし、大理のために新しい形態の隣人関係を作り出し、大理に来るすべての人がその中で帰属感を見つけることができるようにした。

大理は、都市生活から精神生活に転入した人が集まっているポストモダンの生活様式の集まり地のようだ。

よりによって大理

どうしてよりによって大理が人々の理想の国になれるのかと、いつも考えている。大理は、実は玉ねぎのようだ。一枚一枚剝いていくと、一枚一枚違った粒感が出てくる。大理には山野があり、プチブルがあり、歴史があり、人文があり、原始があり、新しい文化があり、コミュニティがあり、芸術がある。さまざまな元素が大理で融合し、新しい都市を生み出した。この都市は、ここで生活する人に多くの選択肢を提供することができる。

大理を愛しここに移住した著名な画家、葉永青はこんなことを言った。「小さな住居で時空の交代を同時に感じることはできないが、大理ではできる」と。

確かに、大理はこのような唯一の、二度と見つけることのできない特殊な都市である。
何年も前に、初めて大理に行った時にこの町が好きになり、それ以来、毎年自分に休暇を与え、大理に数週間滞在している。賑やかな場所には行かず、閑散とした未開発の古い町に生活の息吹を感じる。

未来の人生には必ず大理に定住する段階があると思う。その時は、逃げるということはなく、静かに暮らすしかないのだ。将来の境遇がどうであれ、安住して、一つの技術を学び、野菜を作り、花を育て、料理をし、生活を優雅で簡単にする。

大理は、簡単に生活を送る場所た。いつの日か、人生の本質を感じ、内面的な人生の成長を感じたいと思ったなら、大理に行きましょう。

寄稿者:野菜

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