ミャオ族集落で見つけたもう一つの生活

貴州省貴陽市の青岩古鎮を訪れると、六百年以上の摩耗で鏡のように光る青石の道が私たちを出迎えた。ここには耳障りな客引きもいなければ観光客を騙すような店もなく、観光地で定番の土産物もほとんどない。しかし、どの店に入ってもおいしい料理、心のこもった地産の品々、そして人々の睦まじい笑顔に出会うことができる。

集落に入ろうとすると、一人の花売りの少女に話しかけられた。「お姉ちゃんたちお花買って。チケットなしで入れてあげるから。」半信半疑ながらも私たちが十元を取り出して花の輪飾りを購入すると、少女は嬉しそうに笑い、はたして私たちをゲートの中に入れてくれた。ゲートのスタッフも慈愛をたたえた柔らかな微笑みを少女に向けるばかりだ。村人たちのこうした愛らしく素朴な人間味は、私たちの旅の始まりに温かみと彩を添えてくれた。

集落に入ると、あちこちに名物料理「鹵猪脚(ヂュジャオ)(煮込み豚足)」の店が見えた。軒先に並ぶ鍋からは豚足を煮る湯気が立ち込め、芳しい香りが漂う。誘われるように街道を進むと、手作りのアクセサリーや絵葉書、レトロな品物を取り扱う様々なアートショップに目移りする。ときおりSNSで人気のチョコレートやミルクティーの店や、コンガをたたきながら客寄せする小店なども並んでいる。幸いどの店も騒々しくなく、価格も良心的だ。

集落の街道や建物は、昔ながらの構造や形態を保ちつつ、後世の人の手による精巧な装飾や草花によって飾られている。この集落では至るところが最高の撮影スポットだ。今日の爆発的な観光市場化においても無秩序な建て増しや既存の景観への侵害は見られない。

ここでは「せっかく来たのだから一通り回らなくちゃ」などと気負わず、気の向くまま散策すればいい。小道一つでも、意識を向けて味わってみれば、古めかしいお店や昔の石垣の名残などがゆったりとした時間をもたらしてくれる。

私たちは青岩古鎮に別れを告げ、峠をいくつも越えて貴陽市から東に二百キロメートル、黔東南(けんとうなん)ミャオ族トン族自治州に位置する郎徳上寨(ろうとくじょうさい)にやってきた。バスは曲がりくねった山道を飛ぶように走り、途中いくつもの集落を経由していった。遠くの山々を望むと、深い緑の中にそれらの集落が高低入り混じって点在しているのが見える。

郎徳上寨に入ると、ほぼすべての家々でミャオ族の伝統衣装をまとったおばあさんが老眼鏡をかけて一縫い一縫い刺繡をしていた。その刺繍を衣服や装飾に加工したり銀細工にはめ込んだりして美しい「芸術品」に仕立て上げる。私が値段を尋ねると、おばあさんは一つ一つ丁寧に教えてくれた。しかし値段交渉には明らかに慣れていない様子で、いくらなら買うか尋ねられたものの結局値引きはしてもらえなかった。

私の友人がミャオ族の衣装を着てみたいというので、貸衣装屋のおばあさんにあれこれと着付けてもらった。貸衣装と言っても決して子供だましではなく、精緻な銀の装飾品はずっしり重い。衣装もミャオ族の刺繍をふんだんに施したものだ。その姿のまま店を離れて写真を撮りまわる私たちに、おばあさんも牛の角をあしらった銀細工の冠を持って付き添い、撮影の時には微笑みながらそれを私たちの頭に載せてくれた。あたかもお店に他の客が待っていることを忘れたかのようにのんびりと。

色彩鮮やかなミャオ族の衣装をまとって集落に溶け込む観光客。逆に洋服を着てアイスクリームを舐め、普通語で話しながら集落に入り込んだ我々観光客を淡々と見ている地元のミャオ族の女の子たち。傍から見れば、観光客も村民も見分けがつかない。

食事のために入ったミャオ族の民家はまるであばら家のようで、立派な家具もなかった。しかし厨房に目を向けると、現代的なシステムキッチンで大きな観音開きのシーメンス製冷蔵庫が光沢を放っていた。

ミャオ族の名物料理を二つほど注文して眺めていると、ミャオ族式に盛装した女性がぴかぴかのクローゼットとガスコンロの間を忙しく動きまわっている。なんともちぐはぐな感じだ。彼ら山の民は村から出るため何世代もの努力を重ねる。我々都市部の人間はその慌ただしさに逆に山間に癒しを求め、移り住みたいと夢を見る。

我々は往々にして他人が自分の求める生活を送っていると思いがちで、「自分の生活」はここにはないと思ってしまいがちだ。「ここに生活がないなんてとんでもない。どこにいても同じように生活していくのだ。」とはジャーナリストの柴静(チャイ・ジン)の言葉だったか。

どこにいても生活していく――「私の生活」は私が生活するところにこそあるのだ。私はこの旅の中で、強くそう思った。

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