江蘇省にあるこの幸せな町は、マルコ・ポーロにも賞賛された!

泰州は江蘇省中部、長江北岸に位置する。長江デルタの中心都市の一つであるこの街は全市総面積5787平方キロメートル、2022年戸籍人口488.43万人、靖江、泰興、興化の3つの県級市と海陵区、医薬高新区(高港区)、姜堰区を所轄する。全国文明都市、国家歴史文化名城、中国優秀観光都市、国家衛生都市、国家園林都市、中国でいちばん幸福感ある街など多くの称号ある街である。

泰州の街づくりは2100年あまりの歴史を擁する。古く「城壁は険しく堅く、濠は深く広い。堀を凌駕するようにそそり立つ城壁はまるで羽を広げた鳳凰のようだ」と評されたこの街は、瑞祥と幸福の意味も込めて「鳳凰城」とも称された。

美しい山水という自然生態は幸福な泰州の下色である。域内の4分の1を水が占める泰州には大小2万あまりの川や湖が横たわり、靖江の百里江堤に登って「大江 歌うを罷(や)め 頭を掉(めぐら)せて 東す」の非常に深い豪気な感情を味わったり、水上縁日である会船を鑑賞して「会船なら泰潼が天下一」と評される澎湃たる激情を感じたり、「街を満たす春水と花々」の奥ゆかしい千古の情緒を遡ったり、「田に目につくのはすべて美しい花である」と言われる風情をうっとりと味わったりすることができる。

泰州の街は南唐の時代に興り、文化は北宋の時代に栄えた。幸福な泰州の根底にあるのは、文化を尊び教育を重視する千年の文化的脈絡であり、施耐庵の水滸、鄭板橋の水墨、梅蘭芳の水袖が中国文化史上独特の「人文三水」を描き出している。また理学の先駆者胡瑗、泰州学派の創始者王艮、「東洋のヘーゲル」劉熙載は中国哲学史に鮮明な「泰州の印影」を刻み込んだ。近現代に入ると、泰州はさらに30名あまりの中国工程院院士と郷里文化人を世に送り出している。

味わいあるのんびりとした暮らし、それが幸福な泰州ならではのラベルである。およそ700年前、イタリアの著名な旅行家マルコ・ポーロは泰州を遊歴し、「この街は大きくはないが、しかしきわめて多くのこの世の幸福がある」と賛嘆した。時が流れ、現在。泰州のこの世の幸福は今に至るまで続いている。「春は花の海とフグを楽しみ、夏は夜巡りと八鮮を味わい、秋は湿地を巡りカニを剥き、冬は温泉に浸かって湯包をいただく」。泰州では、この世の万人向けの幸福に手で触れることができるのだ。

英雄を尊び、発奮して、自らも努力する。それが幸福な泰州の絶えなき動力である。白馬廟は中国人民解放軍海軍誕生の地である。また、新中国一の特級戦闘英雄楊根思は泰州人である。達成できない任務の存在を信じない、克服できない困難の存在を信じない、打ち勝てない敵の存在を信じないという彼の「3つの信じない」精神は泰州人の血脈に深く溶け込んでおり、泰州人を絶え間なく事業や創業へと駆り立て、激情に火を点け、幸福な泰州の良質な発展の楽章を奏ているのである。

千年の水郷、泰州。この街は今まさにあなたの訪問を待っている。さあ、泰州を訪れ、歩き、目にいれ、味わい、この土地に満ちるこの世の幸福を感じよう。

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