「カンフーの街」仏山、濃厚な春節の雰囲気

その街を中国でもっとも武に長けた街だという人がいる。ここには武術の達人黄飛鴻の絶技「無影脚」もあれば当代の宗師葉問の咏春拳もあり、いうまでもないが李小龍ブルース・リーの故郷でもあるのである。その街の名は仏山という。

仏山の春節の雰囲気は手書きの揮春フゥイチュン(家の門などに貼る文字が書かれた赤い紙)に隠れている。春節の訪れを前にして、現地の人々はみな揮春を何枚か買い求め、家の中に貼る。年越しならではの儀式感である。

「醒獅無くして春節無し」という言葉があるが、仏山の春節の雰囲気は南派醒獅シンシー(獅子舞)にも隠れている。大喜びする人々の群れのなかで繰り広げられる、生き生きとして醒獅の真に迫ったパフォーマンス……賑やかで伝統的なあの祭日の雰囲気が、ふたたび帰って来たのである。

仏山の春節の雰囲気は一品一品の美食にも隠れている。忘れることなかれ、健啖家の天国である順徳はまさに仏山にあるのだ。たっぷりと脂を蓄えるべき春節休暇のあいだ、はちきれんばかりに食べないことには、国連から贈られた「世界美食の都」の称号に申し訳が立たないではないか。

真っ赤に染まる老街、春節の濃い空気はここから拡散する

陰暦28日は大掃除の日である。ほこりと汚れを洗い流したあとは、もちろん揮春を張らねばならない。広東人の揮春は、私たちがよく知っているような対聯のほかにも4文字のものや、はては1字2字のものもある。紙に筆を走らせ春を自在に書き表し、新たな年を迎えるのである。

筷子路は仏山の古い町並みである騎楼老街にひっそりと隠れている。かつてここは仏山の人々にとって婚儀の際に必ず通る道であった。毎年この時期になると、書の大家たちがここに次々と集まり、騎楼の柱を目印に境界を作り、露店のためのスペースを割り振る。老人たちは筆を振るいながら心のこもった祈願をしたためる。一年また一年と番を務める彼ら文人たちとおしゃべりしながらよもやま話をすると、歴史ある街に独特の生活の味わいを体感することができる。

喜ぶべきことに現在、ここには指揮を執っている上の世代以外にも若い顔が少しずつ増えてきているのだ。

覇を競う獅王、にぎわう新年の扉を「醒」の一字で開く

誇張した造形と目覚めるように美しい色合いの醒獅は明代に誕生した魔除けであり瑞祥である。その舞いの気勢は非凡で、活き活きとした獅頭には仏山人のずば抜けた装飾手芸が生きている。その鮮やかな頭を触ると、一年を「好彩頭」(良い幸先・吉兆)とともに始めることができるのだ。

/黄飛鴻館/

広東ではめでたい祝祭日の度に人々は好んで獅子舞で祝う。黄飛鴻館は醒獅を見に行くのにおすすめの場所だ。獅子の演者は激しい太鼓のリズムに合わせて足踏みし、高所を歩き、転げまわり飛び跳ねる。その様子を見る者も思わず手に汗握ってしまう。カンフーをできる獅子舞演者は最高の「リズムマスター」だ。彼らは太鼓の音に合わせて地面を踏みながら、観衆の心のなかでも心地よく踊るのである。

/祖廟/

仏山人に神廟とみなされている祖廟。春節や端午、中秋などの伝統的祝祭日の度に珠江デルタ一帯の一般庶民は続々とここにやってきて参拝し、福を祈る。そして翌年の生活と気候が順調となるよう願う。ここは嶺南の人々の精神の聖地なのだ。また、祖廟では正真正銘の南派醒獅のパフォーマンスを見ることもできる。

花街を行き、草花の千古の香りと趣きを追う

毎年除夜の夜、仏山人は老いも若きも一家そろって花街に繰り出し、あたりに満ちる花の香りと喜ばしさに触れる。そして賑わう人々の仲間入りをして、来年の幸福と平安を期待する。仏山迎春春花市は明末から清初期に起源を持ち、すでに百年の伝統となっている。

ここの草花それぞれには違った寓意が込められている。たとえば、紅桃ホンタオは遠大な計画を意味する「鴻図」とかけられている。富貴竹(ドラセナ)には「花が富をもたらし、竹は平安を実現する」という思い、そしてキンカンには「万事めでたく順調であり、ますます盛んに発展するように」という願いがそれぞれ込められている。あなたもそんな吉兆を一株買って帰ってみてはどうだろうか。

伝統文化のルーツを尋ねる旅も良き旅先に事欠かない

/嶺南天地/

祖廟に近い嶺南天地に並ぶのは明清時期の古い建築スタイルの建物である。しかし少なからず現代の要素も溶け込んでいて、文芸青年たちにとって必見の聖地になっている。

色あせてまだらになった建築、それは歴史が残した痕跡である。ここでは古今をタイムスリップしたり、また東西の文化を体験することもできる。創意あふれる小さな店と無形文化遺産が互いを補い合う、そんな懐の深さと大きな度量も時間の洗礼を経た老建築あってのものだろう。ここの建物は一棟一棟すべてに歴史が凝縮されている。そしてそのひとつひとつの歴史はすべて奇譚の色彩を帯びているのである。

たらふく食べて浴びるほど飲む、それでこそ最高の新年だ

/鶏/

仏山人が客をもてなすとき、俗に「鶏なしでは宴にならぬ」と言われる。春節当日の夕食である「開年飯」には「生鶏」(雄鶏)が欠かせない。込められた寓意は「有生機」(生気あり)である。

柱侯鶏ジュウホウジーは仏山の百年の名菜である。雌鶏、ラード、そして仏山伝統の調味料柱侯醤を合わせて作るその香りは食卓に上がったとたんに十里を漂う。この香りこそが最高の客寄せなのだ。もちろん柱侯鶏以外にも白切鶏バイチエジー、豉油鶏チーヨウジー、沙姜鶏シャージャンジーなど、千変万化の鶏料理がある。これぞ仏山人の儀式感である。

/魚/

万事意の如く進むよう願って食べる年越しの夕食「年夜飯」。ここにはもちろん魚が欠かせない。

*発音が同じ「魚ユー」と「余ユー」に「余裕のある暮らしを送れるように」との寓意が込められている。

たとえば「鯪魚」(マッドカープ)は身を細かく挽いてハンバーグ状に形成したあと、弱火でじっくりと油焼きにする。口触りの良い魚肉ハンバーグは子どもからお年寄りまで誰もが口にできる軽食である。

醸鯪魚ニャンリンユーには料理人の心がこもっている。まずは魚の皮を傷つけないように気をつけて身と骨を取り出す。細かく刻んだ身に、同じく細かく刻んだシナクログワイ、冬菇、陳皮を合わせ混ぜ、それを先ほどの皮の中に戻し油で揚げる。身がしっかりと固まったあとは、ぴたっと蓋をしてとろ火で煮込んで完成である。

生魚の身は腕利きの料理人の包丁捌きのもとではレースのように薄くなる。これにネギ、ショウガ、ニンニク、砕いた落花生などの薬味、そして醬油などを配合した調味料を合わせると、最も原始的で甘みと旨さが最高の魚生ユーションの出来上がりである。

/盆菜/

一家団欒の年夜飯の象徴盆菜の出番が回ってきた。鶏、家鴨、魚、エビ、アワビ、髪菜など、十数種の食材が大皿を満たし、油焼き、揚げ、炙り、煮物など数多ある調理方法を一身に集めている。濃厚で美味しく豪華絢爛、そして団欒のめでたさと寓意に満ちた盆菜は仏山年夜飯の主人公に恥じない存在である。

*髪菜:髪の毛に似た藻の一種で金持ちになるという意味の「発財ファーツァイ」と発音が同じである。

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