中国で大人気、山東省の淄博バーベキュー(BBQ)って?

「クレープや焼き肉のたれ」という言葉は、今や各ソーシャルメディア上で山東淄博の代名詞となっています。淄博ではいつもこのような現象が見られます。食事の時間が来る前に、バーベキューの店の外にはすでにたくさんの人が集まっています。多くの人は腰掛けを持参して行列を作り始めます。まるでこのバーベキューを楽しむことが、人生においしいスパイスを加えるような感じです。

淄博でバーベキューを食べるのは義理人情を食べることだ

最初はみんな、人気なバーベキューがどんなものなのかを味わってみたいと思ったかもしれないが、次第に国民的なカーニバルへと変わっていった。

広西から30時間の列車に乗って、悔いのない青春の旅に出る大学生もいれば、北京から一番早く串焼きを食べるために、いっそのこと庭に泊まり込んだ中年夫婦もいる。わざわざ串焼きを食べに来た甘粛省出身の76歳高齢のおばあさんもいる。彼らは列車を降りて、まだバーベキューの店に入っていなくても、すでにワクワクしていた。

淄博バーベキューは、中国の多くの地域のバーベキューと比べると、よりセレモニー感がある。各テーブルに必要なコンロは、食客が自ら作るという参加感を最大限に高めている。バーベキューで一番なのは、何人かの親友とコンロを囲んで歓談する雰囲気だ!

歴史の長い淄博は、バーベキューだけではない

淄博の多くのバーベキュー屋台に回って、周囲の地元らしい人に本籍地について確認を求めると、直接淄博とは言わずに、博山、淄川、張店、周村などの聞き慣れない地名が聞こえてくるかもしれない。

近代に興った多くの工業都市と同様に、淄博も炭鉱から掘り出され、鉄道に運ばれてきた都市である。今、淄博市中心の張店はバーベキュー界の「エルサレム」とみなされているが、1922年の「張店調査報告」にはこう記述されている。膠済鉄道が建設される前は、この地に商業はなかった。

しかし、張店が長い間無名だったのと違って、淄博市の他の地方の歴史はずっと古い。臨淄(りんし)は淄博市の歴史担当にふさわしい。3000年以上前の東方の大都会として、臨淄は世界サッカーの起源地であり、斉文化の発祥地でもある。

博山の瑠璃業の歴史は悠久で、文化の基礎が厚い。考古資料によると、博山の瑠璃製造は千年以上の歴史があり、清代までにはすでに全国の瑠璃製造の中心地となり、名実ともに「瑠璃の郷」である。バーベキューの合間に、人立瑠璃芸術博物館に行って数千年来の華やかな色彩を見てみるのはいかがでしょうか。

広大な斉魯大地にはさらに滄海の遺珠――周村が散らばっている。ここでは製糸業は2700年を超える歴史がある。ここで散歩すると、シルクの文化がどこにでもあることが実感できる。こここそが本当の「シルクの里」、「シルクの道の源」である。

博山菜こそ、最も本場の淄博味

ご当地の博山菜こそが淄博人の最も好きな料理だ。昔の博山の言葉によると、 「貧しくても酥鍋、富んでも酥鍋」 である。酥鍋は博山の有名な料理で、必要な魚以外、他の食材を自由に組み合わせることができる。贅沢か質素かは個人による。

中国の八大料理のトップである魯菜は、清の時代に大運河を蛇行しながら北上し、宮廷の無上の珍味となった。魯菜の発祥地である博山では、地元料理の材料は宮廷料理の山海の珍味のように贅沢とは限らないが、調理の精細さには欠けない。

博山菜が有名なのは、料理だけでなく宴席のルールもあるからだ。1つの料理流派を支えるには、少なくとも一卓分の料理でなければならない。四四席は、博山菜の中で最も精緻で洗練された宴席料理の形である。「四」は中国古代においてはずっと縁起の良い数字であり、四品を一組とする料理を出すという特徴は、博山の数百年以来の習慣となり、次第に一連の礼儀規定を生んだ。

バーベキューもいいけれど、毎日食べてるのはのどの炎症が起きるかもしれない。この最も素朴な料理こそ、人の心を癒す。

寄稿者:アイーチ(愛吃)

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