日中両国中秋節の習わしを大暴露!こんなところが違う

中秋節は、中国の四大伝統的な祝日の一つ。毎年、旧暦八月十五日、人々は一緒に座って月を見たり、月餅を食べたりして、団欒を祝う。中秋節の起源は非常に古く、唐の時代に遡り、宋の時代に盛んになったと広く考えられている。実は中国だけでなく、多くの国々で中秋節が祝われている。例えば一衣帯水の隣国——日本もその一つだ。日本の中秋節は「十五夜」と呼ばれ、中国の唐の時代に由来しているが、風習にはいろいろな違いがある。それでは日中両国の中秋節の起源と違いを見てみよう。

中秋節の伝説

中国の中秋節は月の神、つまりその時代の人々が夢想した月宮の嫦娥を祭るのが一般的である。他にも呉剛がキンモクセイの木を切り倒すなど、関連する伝説がある。これらの伝説のイメージは、人々がよりよい生活を望む象徴だ。唐宋時代には、嫦娥への崇拝が盛んに行われた。男は官途の順調を乞い、女は嫦娥の恵まれる美顔を願った。

しかし、日本の伝説は大きく違う。日本の嫦娥は、「輝夜姫(かぐやひめ)」と呼ばれ、竹林の姫とも言う。その名は日本の古典文学「竹林物語」に由来する。伝説によれば、かぐや姫は月宮から降りてきた女性で、毎年の中秋節には月の上で、彼女を祭る人々に幸運をもたらすとされている。そのため、日本の中秋節では、月の神様であるかぐや姫を拝むのが最も一般的だ。

中秋節の祝い方

お月見の風習

中秋節の月を楽しむ風習は、唐の時代に非常に盛んでいて、多くの詩人の名文に月を称える詩句を含んでいる。中国の各地は今なお多くの「拝月壇」、「拝月亭」、「望月楼」といった古跡が残っている。北京の「月壇」は、明の嘉靖年間に皇室の月祭りを行うために造られたものだ。中秋の月が昇ると、人々は屋外にテーブルを設置し、月餅、ザクロ、ナツメなどの果物を供える。月を拝んだ後、家族全員がテーブルを囲んで食事をしながらおしゃべりをして、明月を共に楽しむ。現在、月を祭る伝統的な行事は、盛大で多彩な群衆の月見や遊楽に取って代わられている。 

旧暦の八月十五日に月を楽しむ日本の風習は、平安時代にさかのぼり、当時の唐から日本に伝わり、最初は「観月の宴」という形式で貴族の間に広まった。日本の貴族は、月を楽しむために大々的な宴会を催し、さまざまな楽器の演奏や詩歌の朗読が行われた。江戸初期になると、この風習は庶民の生活まで浸透した。

後醍醐天皇(1288~1339年)は吉野御所で盛大な宴席を開いた

中秋節の食べ物

中国では中秋節に月餅は欠かせない。月餅は表面が硬い皮で、中には様々な具材が詰められた伝統的な中国のスイーツだ。このスイーツの平らで円形の形は満月に似ていて、「家族で囲む」と「団欒」を象徴している。丸い月餅を均等に切り分け、家族と共に楽しみながら、幸せと健康を祈るのは中国の伝統的な習慣である。

それから、桂花酒を飲む習慣もある。人々はよく中秋節に月餅を食べながらモクセイを楽しみ、モクセイで作られた各種の食品を食べる。その中でも、ケーキやキャンデーが最も一般的だ。中秋の夜、月の中に咲く金木犀の香りを楽しみながら、モクセイの蜜酒を飲んで、家族の幸せを祝うのは節日の楽しみの一つとなっている。

日本人はお月見を、神様からの豊作への感謝を伝える機会と考えている。お月見にはお酒や月見団子、秋の収穫物(サトイモや枝豆、栗やススキなど)をお供えし、満月を観賞する際に月に捧げられる。

月見団子は和菓子の一種で、もち米粉を使用して、もちもちとした甘みがある。その形状は地域によって異なり、丸いもの、細長いもの、餡に包まれたものなどがある。日本人には丸い月見団子は月に似ていて、健康と幸福の縁起物だと考えている。そのため、お月見が終わった後、家族でお月見団子を分け合うことが、習慣の一つだ。

中秋節の意味

中国人にとっての中秋節は「家族の団欒」という意味で、通常、この日に家族がそろって月を楽しみ、月餅を味わう。過去にはたまに花火の演出も行われていた。一方、日本では、中秋節にはお月見や祭りなどの行事が行われ、主に農業の豊作を祝う。日本の中華街でも、中秋節を祝うイベントが行われ、人々は月餅を手に取りながら、本格的な中国の祭り気分を楽しむことができる。

長崎中華街のライトアップ

実際には、どこにいても、中秋の夜に見上げれば、空にかかる黄金色の明るい満月がある。地域的な制約は、和やかで楽しい祝日の雰囲気を遮断することはできない。中秋の祝祭の中で、中日両国の人々が「海上に明月が生まれ、天涯共にこの時」となることを期待している。

寄稿者:明月

ABOUT US