西島の漁村を本屋の中で最も厚い本と喩える人がいる。本の名は漁村の名前で、本の著者は漁村に関係するすべての人だ。
西島の漁村と関わるには、他の観光スポットで写真を撮るような簡単なことではなく、鍵は村民たちが漁村の秘密をシェアしてくれるかどうかにある。例えば、臨海路の埠頭で一番綺麗な光は何時に出てくるのかを教えて、椰子のを通り抜けて顔いっぱいに降り注ぐ;例えば、毎日漁村の市場で何時になったら最も新鮮な海産品や魚があるかを教える;もちろん漁村の横丁の奥に隠れている、名もない小さな店らを紹介しなければならない。
ほとんどの観光客に知られていないこれらの小さな秘密が、美しい紐のように、400年以上の歴史を持つこの漁村とあなたを結ぶ。今度お友達を連れて漁村を見物する時、そっと近づきながら、「行こう、いいところを連れて行く」と言ってみてください。
西島で長く滞在すると、自分に合う「いい所」をいくつか見つかるはずである。それはおそらくネット上で人気の海上書斎、西島文化創意館、古い家屋群、おそらくまだ開発されていない椰子の林、無名の小店ら…多くの場合、漁村の人々は意図的にこれらの「いい所」をシェアしようと思わないが、話が盛り上がれば、あなたを友達と認め、離れる際に「いい所」をいくつか紹介することになるのだ。
画像|西島漁村の道端にある椰子の屋台
先月、「晩御飯何にしようかな?」という世紀の難題を悩むとき、友人がやってきて、今日は何か「新しいもの」を体験してみないかと尋ねてきた。そこで午後六時、私たちは臨海路から漁村の路地の中に入り、賑やかな漁村市場を通り抜け、島に一つしかない幼稚園の前を通り過ぎ、無名の小店に辿り着いた。半ば閉ざされた暖簾をくぐり、半ば開放された「庭」に入ると、そこはすでに客がいっぱい立っていた。友人が先頭に割り込み、慣れた様子で「鴨の丸焼き半分、牛のすね肉二人分、手羽先の唐揚げ二つ、お持ち帰り」とオーナーに言った。こんな「無名の小店」でも、ここまでの人気を持つとは私が大いに驚いた。
画像|鴨焼き店が客のために鴨を切っている
オーナーは生粋の西島の人である。無名の小店といったが、二、三年前に店をオープンした当時は看板があった。「看板はどうしたか」とオーナーに聞くならば、ある年台風は看板を吹き飛ばしてから、もう一度それを掛けるのが面倒になってしまったという返答が来るだろう。本当に仏のように大らか。しかし、この店の鴨焼きは肉質が柔らかく、味もまろやかで、脂ぎっているが飽きがこないため、毎日ほとんどご飯の時間前に売り切れてしまう。ここも西島の地元の人にとってよく知られた「いい所」となった。
半月ほど前、西島漁村で撮影をしていたとき、特別な売店にも行った。路地の中にある売店はとても普通に見えていて、ひらやに窓を開け、昔ながらのシャッターが掛かり、中にある棚の上にさまざまな生活用品が並んでいる。何かを買いたい時、オーナーのお爺さんに一声掛け、品物を手に取って勘定すればいい。西島初の売店は、長年の試練をくぐり抜けたので、「老舗」と呼ぶことができる。
画像|名前のない「老舗」の小店
お爺さんはとてもおしゃべり好きで、店に買い物に来る客に対して、いつも一言二言を話しかける。その日に、私は西島に溶け込む素晴らしい方法を見つけたようだ。それはつまり夕方に、隣で椰子を一つ切って、ストローを挿してから、売店のお爺さんから西島漁村の昔の話を聞くのだ。
画像|椰子を切って飲みながら話を聞く
西島漁村では、このように知られていない小店、古い店の住所を見つけることは困難である。昼間は普通の漁家の庭かもしれないが、夕方になると一転して美食愛好家の集結地になる。「名もなき店」を見つけて体験するには、知り合いの紹介か、恵まれた縁が必要だ。
西島で「ブタの胃袋の鶏巻き」と言えば、間違える人はいないだろう。夕方になると庭は地元の人でごった返すが、島外からの幸運な観光客の一人や二人は、大胆に試食したあとも絶賛している。ここ数年で売っているものはあまり変わっていないが、商売が続けたのは、自分の良心を損ねたり、近所の評判を粗雑にしたりしなかったからだ。これがこれらの店は看板がなくても人々の心に金の看板を飾り付けた故である。
西島の隠れた店のごちそう
西島漁村にはこのような小店が多い。画一的な店と違って、これらは西島漁村のあっちこっちに根を下ろして、商売をしていると同時に漁村の質朴さを守っている。これらの小店の存在があってこそ、西島漁村は他の景勝地の「味」と区別がつき、観光客と村民、村民と島の間にある暖かさを維持できた。