自然に目が覚めるまで眠る、それはきっとみんなの願望に違いない。中国にはこんなところがある。そこでは人々は正々堂々と昼12時まで眠る。たとえ朝9時に起きたとしても、そこでは何も言われなく、むしろまめだと褒められることすらあるのである。その場所とは新疆のカジュガルである。
カジュガルに到着したあなたは、ここの人々の生物時計が一般的な人々と違っていることに気づくだろう。毎日昼まで寝て、12時に活動を開始することはここではよくあることなのである。しかし、それはなにもカジュガルの人々が怠け者だからではない。ここの地理的位置と大きな関係があるのである。
広大な土地と豊富な物産を誇る中国には、5つの標準時区がまたがっている。そのため、同じ国のなかに「時差」が出現するという状況が生じるのである。西部辺境に位置するカジュガルの夏の日没時間は22:30分、北京では夜である。また、カジュガルが完全に暗くなるのは23時以降、これはほとんどの都市では人々が眠りに入っている時間にあたる。このため、カジュガルの人々の就寝時間もかなり遅れることになり、深夜2時3時に床に就くことは基本的には正常な日課なのである。ここでは日の出の時刻も遅い。そういうわけで、心行くまで惰眠をむさぼることができるのである。
カジュガルに来たばかりのころ、多くの人は笑いながらまるで外国に来たような感覚だと口にする。というのも「時差ぼけ」があるからだ。しかし、よその人々がいびきをかきながら熟睡しているときに夕日を追うというのも、とてもロマンチックではないだろうか。
こんな言葉がある。「カジュガルに来ないなら、新疆に来たとは言えない」。カジュガルは群山のなかに佇む異郷の古い町である。崑崙山脈、横断山脈、そしてパミール高原にしっかりと囲まれたここは、さながら世間から隔絶された秘境だ。大昔、往来する商隊の経由地だったこの地は、シルクロードに燦然と輝く真珠だったのである。
ここには古めかしく飾り気がない通りや路地があり、余計なものがない生活があり、そして「モロッコ」にも負けない異郷の風情がある。ここを歩くと、千夜一夜物語の童話のなかに入り込んだかのような気分になり、目が釘付けになってしまう。
古い町並みの家々はどれも黄土色だが、ちっとも単調ではない。なぜなら、ロマンあるカジュガルの人々は花や緑で自分の家を色とりどりに飾っているからである。遠くから眺めると、すべての通りや路地が盛大に輝いていて、このうえなく癒される。まさに「家々には池があり、花が咲き誇っている」だ。子どもたちは裸足で自由に走り回り、日々は静かに楽しく過ぎる。ここではまるで愉快さと快適さが決まりきったお約束事であるかのようである。
カジュガルは安逸な場所だが同時に賑やかな場所でもある。もし最も「俗世の雰囲気」が濃い街を選ぶなら、私はきっとここに一票を入れる。ここでいう「俗世の雰囲気」は街中のいたるところで目にするウイグル族の飯屋の店先に体現されていて、羊の肉を焼く焼き台から立ち上る香りが街中を満たしている。
街では籠を手に提げた大勢の人や、大八車を押しながら自家栽培のイチジク、サクランボ、ブドウなどを売る人の姿も目にする。露店を通り過ぎるときは決まって彼らの熱心な売り声が耳に入る。いちばんお決まりなのはもちろん「いいからちょっとだけ試してごらん、甘くなけりゃお代はいらないよ」だ。
歩き疲れたら、旧市街区で茶館に入って休憩しよう。何代にもわたるカジュガルの人々の記憶が凝縮されている「百年老茶館」は必見である。茶館のなかにはたくさんのオンドルがある。顔見知りかどうか関係なく、友好的な茶館の客たちはオンドルの上に車座であぐらをかいて座り、気の向くままにおしゃべりをしている。茶館の「タンブール」を弾くのが好きな客もいて、不揃いな弦の音にときおり歌を口ずさんで合わせる。静けさが好きなら、ベランダで横になって通りに目をやり、人々の往来を静かに眺めてもいい。カジュガルの輝かしい地域の名刺である百年老茶館は、四方八方からの観光客を引き寄せる。
香妃墓(アパク・ホージャ墓)に行くのもいいだろう。陵墓といっても、むしろ華麗で立派な宮殿のようなところだと言ったほうがいい。塔楼の頂、そして鍍金の新月が金色に輝き、たいへん荘厳である。
多くの人がカジュガルを新疆の終点にしている。しかし、じつはカジュガルについて語るならば、それは新疆の物語の始まりに過ぎないのである。