中国広東省中山市、自然と文化の調和が紡ぐ住みやすさと多様性

その街について口にするたび、人々は無意識のうちに「住みやすい」という言葉で彼女を形容する。その街の十分な力のおかげで、ここで暮らす人たちは都市の便利な生活や、ちょうど良い自分のリズム、そしてささやかだけれども確実な幸せを手に出来るのだ。その街とは、珠江デルタ地帯の都市でもっとも控えめな都市、中山である。

△図虫創意

「住みやすい」という中山の看板

中山という街は実に控えめだ。なので、ゆっくりと細かく吟味する必要がある。彼女はまるで今流行りの「雰囲気美人」のようだ。その美しさは微細な日常の中に溶け込んでいて、いくら見ても飽きが来ない。威厳ある美の気質を備えているのだ。

中山を訪れるなら、詹園を探索してみるといい。詹園は山に隣り合うように建築されていて、園内を川が流れている。ここは嶺南地区最大の私家庭園であり、中国の古典的な私家庭園の伝統を有している。また、嶺南の水郷特有の流れをはっきりと見ることができると同時に、西洋式庭園の様式も吸収されている。ここでは千年の盆栽であれ珍しい草花であれ、また飾り窓であれ骨董物の屏風であれ、目にするすべての物から清く透き通った優美さが滲み出ている。

△図虫創意

中山が最も事欠かないのは公園である。中山の住民たちはほとんど三歩歩いただけで公園を見つけることができるほどだ。広東省最大の郊外公園である紫馬嶺公園もここ中山にある。園内をゆっくりと歩くと、一歩一歩に見所となる景色があり、その様子は公園内に公園があると言っていいほどだ。欖勝閣に登ると、園内に満ちる春の色を俯瞰したり、街の全景を目に収めたりすることができる。

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五桂山整体保護区は約300平方キロメートルの土地を保全しつづけてきた。全市最大の森林面積を誇る自然生態資源である。この「緑のコア」のおかげで、中山は危なげなく安らかに椅子に腰掛けながらゆったりと日々を過ごすことができているのだ。

△VCG

香山の由来とは?

中山という名がつくまで、この街には「香山」という詩意に満ちた古称が存在した。言い伝えによれば、域内の山々の頭である五桂山に珍しい草花が生い茂り、辺りに芳しい香りが漂っていたことからこの名がついたという。また、ここは地理的に河と海が合流する場所であり、沖積平野が分布している。おかげで香山人は早くから自らの農耕文明を有することになった。

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香山の歴史は比較的大規模な外来移民の流入を三度経験している。これにより、中原文化と水郷文化が絡みあい、香山という類を見ない輝きが嶺南文化の中に生まれた。中山という狭い土地に広東語、福建語、客家方言という三大方言が併存している文化的原因は、まさにこれである。

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農耕文明のほかにも、この土地の人々は早くから海と切っても切れない縁を結んできた。明清の時代以来、香山人は遠く海を渡り南洋文化、欧米文化の雰囲気の中に身をおいてきた。また、中山は有名な「華僑の郷」である。この土地の教会や税関、郵便局、ホテル、図書館などの新式建築には明らかに西洋式古典建築の複合色彩が混じってる。また、いたるところに立っている碉楼(石造りの高い楼閣)には、伝統的な庭園住宅と中世期ヨーロッパの城壁塔楼の建築様式が互いに結合している。

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このように香山はたしかに普通ではない風土を有する土地であると言える。遥かなる源流を有する珠江と果てしなく広がる南シナ海がここで合流し、中国農耕文明と海洋文明がぶつかって溶け合っている。この街の慎み深さと開放性、そして多元的でプラクティカルな街の性格は、激動の移民の変遷史によって生まれ、育まれてきたのだ。

中山グルメが「香」ばしくないなんて誰が言った?

ここはグルメも実に控えめだ。中山の特産品の美味しさは味にうるさい健啖家にしか理解できないだろう。中山の最も有名な看板料理は、おそらく石岐乳鴿(幼鳩の姿揚げ)だ。この乳鴿(生後4週程度の鳩)は体が大きく、肉が柔らかい。特に胸肉がぶ厚いことで知られていて、蒸したり、さまざまに煮込んだり、とてもたくさんの料理方法がある。

△筆者撮影

沙渓扣肉のレシピは、中山の沙渓鎮の全ての飲食店、ひいては一般家庭でも知っているものだ。それぐらい伝統的な広東料理なのである。ふっくらと蒸された豚肉は芳醇かつ溶けるような口当たりで、脂の旨みがありながらしつこさはない。特に皮の部分の味わいは最高だ。

東昇脆肉鯇(中山産のソウギョ)もこの土地の看板である。肉質はしっかりとしていて、臭みはなく、そのほろほろとした口当たりは名前の由来にもなっている。特に浮き袋は噛みごたえがあり、広東人が火鍋を食べる際にはお馴染みの具材である。

△図虫創意

中山の特産は、ほかにも杏仁餅(餅とは小麦粉から作ったお菓子のことだ)、黄圃腊味(干し肉)、蘆兜粽など、とても素朴な見た目のグルメがある。これらの本場の中山グルメをすべて味わえば、街が秘めている気質とここの料理が分かちがたく結ばれていると理解できるだろう。

1995年生まれの佳欣はこの土地で生まれ育った。中山板芙人である。大学を卒業するとすぐに故郷に帰って仕事をすると決めた彼女は、中山には包容力と暖かさがあるし、生活のペースもちょうどいいと思っている。広州で3年頑張ったあと、中山に定住して仕事をすることにした「新中山人」である阿党も、広州から中山に来てリズムが変化したことを実感している。彼に言わせれば、人生というレースのコースに存在するのは仕事の野心だけではない。若者たちにとってすでに中山では働く場や機会が恵まれている。それにここには穏やかで快適な生活の息吹だってあるのだ。彼らはここで生活と仕事のすべてにメリハリをつけ、満足できるバランスを見つけだしているようだ。

△図虫創意

ひょっとしたら、このような空気感こそが中山について語るときに「住みやすい」という要素を外せない理由なのかもしれない。工業都市ではあるが、林立する煙突などここにはない。いたるところで緑色の木々が葉を茂らせている。天の時・地の利に恵まれているわけではなく、見た感じは「脇役」であるが、しかし彼女は卑屈になることもなければ、驕り高ぶって自らの良さを言いふらすこともしない。常に穏やかさと理性を保っている。そしてさらに重要なのは中山は「住みやすい」という言葉について、住みやすい:多元的で開放的な移民の土壌を十分に有し、また他の土地の人間にとって溶け込みやすく、誰もが合意できる文化的最大公約数を追求している状態のこと。という最も忠実な語釈を今この瞬間も書き加えているということなのである。

△筆者撮影

—「九行」より

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