易しい言葉で理解する雅で上品な昆曲(昆曲の定番)

定番演目の見どころ解説

数百年にも渡る発展史の中で、昆曲の定番と呼ばれる芝居の名は絶えることなく次々と登場し、昆曲は明清の時代には作家と作品を最も多く擁する第一の説唱劇種となった。昆曲の脚本はまたの名を「伝奇」ともいい、その内容は生と死、家と国、恋愛、離別など、文人たちの才と学をあますことなく見せつける。昆曲は中国伝統劇の基本的技能である「唱」(歌)、「念」(セリフ)、「做」(振り付け)、「打」(殺陣)と舞踏や武術とをみごとに融合させた。その歌詞やセリフは上品で、振り付けや歌声は柔らかく、演技は緻密である。役者が見せるひとつひとつの動きや憂い喜びに、江南の美しさが溢れている。

・《牡丹亭》

およそ400年前のこと。官吏の娘である杜麗娘はある夢の中で書生柳夢梅と出会い、牡丹亭のほとりで密会した。その後、この夢によって愛が芽生えた彼女は、しかし同時に傷つき心を痛め、この世を去る。3年後、柳夢梅は科挙を受けるため都に赴く途中で杜麗娘の姿が描かれた絵を拾い、彼女の亡霊とあいまみえる。その後、彼は彼女が埋葬された墓を掘り返し、柩を開け、杜麗娘は起死回生を果たす。こうして二人は晴れて結ばれ、物語は円満な終局を迎えるのである。

『牡丹亭』は中国伝統劇史におけるロマン主義の傑作であり、作者湯顕祖は「東洋のシェークスピア」と称されている。この400年の愛と幻想の物語はその美しさと素晴らしさで、ひたむきな愛に生きる男女をいつの時代も震撼させてきた。杜麗娘の愛は深く悲しい。心から愛する人をずっと思い待ち続けるために、彼女は封建制度の束縛から徐々に抜け出し、自由の意識を覚醒させ、自らの個性を解放する。前世・今生・来世においても変わらず耽美的な愛の実現を追求するロマン主義の愛の理想は、「愛がどこから生まれたのか、それはわからないものの、ますます深くなるのみだ」の絶唱で表現されている。

・《長生殿》

751年、唐明皇李隆(玄宗)と楊玉環(楊貴妃)は七夕の夜、長生殿にて、夫婦として末永く結ばれ決して離れ離れにならないと天に誓い合った。楊玉環は生まれながらに艶やかで美しく、また音律に精通し歌や踊りが得意で、宮中に入った後、比類なき寵愛を受けた。優れた風采と才華を振りまく楊貴妃の歓心を買うため、唐明皇は政を執り行う暇すらなく、勇猛果敢で作戦に長け、強力な大群を手中に収める辺境防衛の将安禄山の謀反を招いてしまう。唐明皇はすぐに楊貴妃を連れて逃れるが、その途中、随行する家来から楊貴妃に自殺を命じるよう迫られ、彼女はこの世を去る。ようやく反乱を鎮めた後、日夜楊貴妃のことを思っていた唐明皇は、人を使い彼女の魂を呼び出す。その思いはついには神をも動かし、二人は天上であの日の誓いを実現するのだった。

『長生殿』は安史の乱を背景として唐明皇と楊貴妃の愛を描き、楽しみが極まるとその後に却って強い悲しみがやってくることを後の人々に伝えている。作者である洪昇は愛の物語を以て歴史を語り、歴史を借りて愛を表現し、歴史の力に翻弄される個人の命運の悲しみを、さらには生死を超えても変わらない愛の尊さをありありと描き出し、深奥な悲劇美を伝えている。

・《桃花扇》

明末の文人侯方域は科挙を受験するため南京へと上京し、友人の紹介で秦淮の歌妓李香君と知り合う。二人は一瞬で恋に落ち、契りを交わした。婚約の印として、侯方域は扇を香君に贈ったが良い夢は長くは続かなかった。国のあちこちで戦乱が生じ、侯方域は戦火を逃れて南京を離れ、李香君は別の男へ嫁ぐことに抗い、自らの死を以て拒否しようとした。このとき香君が流した鮮血が契りの扇へと飛び散り、先の友人がそこに筆を加え桃の花とした。これが物語全体を貫く桃花扇の由来である。紆余曲折を経て、二人はついに再び巡り合うが、しかし出家し仏門の道に入り、美しい夫婦の縁は終わりを迎えるのである。

この劇は「離合を借りて興亡の感を描く」ものであり、契りの扇に愛のロマンを託し、乱世を舞台に数多くの悲しみと無情、そして争いを描いている。か弱い少女李香君が秘めていた頑強な精神は、『桃花扇』の曲とともに伝説として400年生き続け、動乱の中の愛は人々の心の中で久しく響き続けている。江戸時代から明治の時期にはたくさんのバージョンの『桃花扇』が日本に流入し、名劇の定番として日本で流行した。それにより、日本の学者や読者たちはこの劇を内容と形式の双方からさらに深く感じ、理解することとなり、両国の昆曲芸能に関する研究と分析を促進することにつながったのである。

・《浣紗記》

呉と越が覇権を争っていた時代のこと。呉との戦に破れた越の忠臣范蠡は、呉国の君臣を離反させ呉の国力を弱体化させるため、絹洗う美女西施を呉王夫差に献上するという策を越王勾践に上奏する。西施は范蠡と互いに想いを寄せ合う婚約者であった。国家の存亡を前にして、范蠡と西施はためらうことなく犠牲を払った。最終的に呉を滅ぼすことに成功した後、范蠡は無傷で帰還し、西施とともに庶民の暮らしに戻るのであった。

この戯曲は呉越両国の政治闘争を背景として、呉越が覇権を争うという時代の大きな環境のもとに西施と范蠡の愛を置き、自分たちの愛をすら超越する二人の人格の素晴らしさを映し出している。個人の運命と国家存亡とを緊密に繋げたこの描写は、明の時代において伝奇創作が抱えていたテーマの制限を打ち破り、明代の戯曲の発展に大きな影響を与えた。

・《西廂記》

『西廂記』は元の雑劇の中では最も優美壮大な大型喜劇である。書生張生と宰相の令嬢崔鶯鶯が出会い、恋に落ち、侍女紅娘の手助けの元、封建勢力の度重なる妨害を突破してついには夫婦として結ばれる模様を描いている。

劇中の崔鶯鶯は当初、青春の憂鬱さを帯びて登場するが、優雅でスマートな張生と出会い、自らの愛のために封建社会の道徳礼儀と戦う、驚嘆すべき力を持つ女に生まれ変わる。この劇では「どうかこの世の両思いの恋人たちが夫婦として結ばれるように」という希望が滲んだ背景を歌い、釣り合わない家庭に生まれた才子と美女が絶え間ない妨害に遭いつつもハッピーエンドを迎える様子を描く。戯曲性と叙情性とが完璧に一体となり、二人の愛を情緒ある世界の中でとことん追求している。

『西廂記』は古代文学史の中で類を見ないほどの輝きを放っている。明清の時代にはすでに知られており、百種あまりのバージョンで刊行されていた。中国の学者郭沫若はかつて『西廂記』を「時空を超えた芸術作品であり、永遠かつ普遍の生命を備えている」と非常に高く評価している。また、劇作家である董毎戡は『西廂記』の思想性と芸術性は「元明清の三代において同類の題材を扱ったいかなる脚本をも凌駕していると言える」としている。また、『西廂記』は国境を越え、世界各国に伝わっており、現在のところ外国語に最も多く翻訳された中国伝統劇の名著となっている。1804年にはすでに日本の学者岡島献太郎が『西廂記』の翻訳を日本へと紹介し、現在日本では18もの日本語訳本が知られている。日本語以外にも、英語、オランダ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、ラテン語、モンゴル語、朝鮮語、ベトナム語など、世界各地で多数の言語で翻訳・出版され流行しており、非常に高い歴史的地位を誇っている。

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