一目で竹刻に魅せられて

中国人は古くから竹を愛してきた。竹の持つ清々しく慎み深い美しさは文人墨客の心を捉え、詩や書画などの芸術表現でモチーフとされてきた。そんな竹を使った伝統工芸「竹刻(竹彫)」は、竹に新たな生命を吹き込む芸術だ。

竹刻は唐代に大きな発展を遂げ、「留青」という表皮を残す表現技法が盛んになった。奈良の正倉院にも唐代に作られた「人物花鳥尺八」が収蔵されている。楽器全体に華やかな花鳥文様や愛らしい微笑みを湛えた仕女の姿が実に生き生きと彫られており、構想から製作に至るまでの水準の高さから、竹刻がこの時代すでに芸術として十分成熟していたことが見て取れる。

唐 人物花鳥尺八(奈良正倉院蔵)

最近、『華人時刊』の「非遺中国」に、江蘇省常州市薛家鎮に住む無形文化遺産技芸の継承者・譚文如さんの、彼と留青竹刻の「物語」が掲載された。

制作中の様子

譚さんが留青竹刻と出会ったのは2008年秋。当時装飾デザインの仕事をしていた譚さんが常州の華夏芸博園を参観した際にたまたま見かけたのだという。譚さんは一目でその独特な魅力のとりことなり、この挑戦しがいのある工芸のことが頭から離れなくなった。その熱意のまま、2009年の春に処女作『水仙』を完成させてしまったのだ。

譚さんのアトリエ「文如竹斎」

極致を求めて

留青竹刻は「皮彫」とも呼ばれる通り、竹の表面の薄皮に彫刻を施す。薄皮を残した部分と地肌が露出した部分の色彩の違いにより刻面に多彩な色調の変化が生まれる。

留青竹刻の作品は決して大きくない。しかしその制作には膨大な心血が注がれており、特に竹材の選出には最も神経を使う。

竹材探し

留青竹刻の創作には「鬱蒼とした山間で4年以上生長した、太く、節が長く、表皮はきめ細かく滑らかで、かつ虫食いがない竹」が適しているという。譚さんは条件に適した竹材を探すため、江蘇、浙江、安徽三省の省境にある山々を巡る。

下処理の様子

適した竹材を採取したらすぐに防虫・防カビ処理を施す。採取した当日に行わなければならず、陰干しする時間も緻密な計算を必要とする。もしこの工程で少しでもひび割れてしまったら創作には使えない。

竹材の運搬

竹材の選定や下処理はハードな仕事だ。しかし「毎年一番心が軽くなるのもこの時期です。大自然と密接に触れ合うことができるし、ふとしたことで創作のインスピレーションを受けることも多々ありますから」と譚さんは言う。

格調と内心の修練

譚さんが言うには、現代の竹刻の表現には高い臨場感と今日の人文背景に適した表現が必要で、作品に作家自身の美意識や観念を込めなければならない。

その過程で作家は必ず「格調の高低」という問題に突き当たる。作品の格調は自身の修養に大きく左右される。内面的な修練を積んでこそ高い格調を得ることができるのだ、という。

留青竹刻

そこで譚さんは、竹刻芸術の研鑽を積むと同時に、絵画や書道の造詣を深めることに励んでいる。彼のアトリエには、留青竹刻の作品を除けば画集や書帖が最も多い。譚さんの作品には色濃い文化の趣と格調高い雅さは、書画に対する理解の深化と刀法の探求による賜物だ。結果、譚さんの作品は幅広い層からの高い評価を得、中国国内の多くの大きな展覧会で様々な賞を獲得してきた。

譚文如作品

しかし、譚さんはそれで満足はしていない。「竹刻芸術の探求に果ては無く、その価値はその「唯一性」にあり、同じモチーフの表現でも、毎回異なる、そして二度と作れないものを作らなければならない」と彼は言う。

古法に新意を得る

また譚さんはその創作過程においても、現代社会ならではの精神や文化背景を取り入れることが重要だと考え、自らの美意識によって伝統の取捨選択をしながら竹刻芸術の更なる可能性を探求している。

譚文如作品

自身の作品に幅広い分野の長所を取り入れるだけでなく、文化の継承発展を重んじ、古法から新時代に即した自身の作風を追及、構築してきた。その背後には日々のたゆまぬ研鑽と芸術に対する思考実験、そして目標を見据えて努力を積み重ねる態度がある。なんでも性急に結果を求める現代、一歩一歩着実に歩き続ける姿はなんとまぶしいことだろう。

寄稿者:江南の竹

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