7月11日、フランス・パリで開催されたユネスコ第47回世界遺産委員会にて、中国が推薦した「西夏王陵」が新たに世界遺産リストに登録されることが決まった。これにより、中国の世界遺産はついに60件目となる。
賀蘭山のふもとに眠る「東洋のピラミッド」
なだらかな山前のゴビ砂漠に、9基の陵塔が整然と並び、背後には険しく連なる賀蘭山の峰々。壮大な景観が、西夏王陵の全体像を形づくっている。
第1号陵・第2号陵
西夏王陵は、中国北西部にかつて存在した西夏王朝(1038〜1227年)の陵墓遺跡群で、党項(タングート)族によって築かれた。場所は寧夏回族自治区・銀川市にあり、中国内陸の自然地理において重要な分水嶺とされる賀蘭山脈の南部東麓に位置している。遺跡はおよそ40平方キロメートルにわたり広がっている。
第3号陵
時を超えた文明のメッセージ
千年の時を越え、この古の大地を歩けば、幾重にも積もった歴史の塵がそっと払われ、かつての繁栄と輝きがふたたび浮かび上がってきる。そこには、多様性と一体性が共存する中国の姿が、しっかりと刻まれているのである。
西夏王陵の第6号陵から出土した「緑釉の鴟吻(しふん)*」は、ひときわ目を引く存在である。古代中国建築における装飾部材のひとつであるこの鴟吻は、その大きなフォルムが印象的で、同時代の中原地域に見られるものと似ていながらも、龍の頭部がより強調されていたり、魚の尾が分かれていたりと、独自の意匠が施されている。西夏王陵をじっくり観察すると、こうした異なる文化同士が交流し、融合する中で生まれた独特の造形が数多く見られる。
*「鴟吻(しふん)」とは、中国の伝統建築で屋根の端に取り付けられる装飾部材で、火除けや魔除けの意味を持つ。
西夏王陵は、その姿をほぼ完全な形で今日までとどめており、中国文明の「多様にして一体」という構造や、多民族国家としての統一の歩みを今に伝える貴重な証人である。世界の文明史においても、かけがえのない重要な位置を占めている。
1972から2025まで
1930年代、ドイツ人のある飛行士が寧夏・銀川上空を飛行中、ふと賀蘭山のふもとに奇妙な「土の盛り上がり」をいくつも発見した。思わずその光景に引き込まれ、彼はカメラを取り出し、目の前の不思議な風景を記録に収めたという。
その後、西夏王陵が再び人々の注目を集めたのは、1972年から1977年にかけて、考古学者たちによって、初の本格的な調査と科学的な発掘が行われた。1985年には銀川市の文物保護単位に指定され、1988年には国家級重点文物保護単位として登録された。それ以降、関連部門による体系的かつ科学的な保護整備が進められてきた。2011年には世界遺産登録に向けた取り組みが正式にスタートし、2014年には西夏王陵博物館の建設も始まった。
出土した文物
西夏王陵博物館
世界遺産登録に向けた過程で、中国国家文物局や寧夏回族自治区、そして関係機関はさまざまな取り組みを進めてきた。計画書の策定、周辺環境の整備、文物保護プロジェクトの実施、インフラの充実など、多方面にわたる作業が行われた。
世界遺産に登録されたことはゴールではなく、文化が再び息づく新たなスタートである。賀蘭山のふもとからセーヌ川のほとりまで——この7月の朗報は、はるか万里を超えて響き渡った。西夏王陵はついに「世界」という座標を手に入れ、同時に私たちにこう語りかける。「すべての民族の歴史は、人類全体の記憶でもあるのだと。」
寄稿者:云间