もし神さまに本部があるとしたら、それは泉州に違いない

泉州の魅力は、その複雑で多層的な信仰体系にある。ここには、山や海に根ざした土地の神々もいれば、海の向こうからやって来た異国の神々もいる。——まるで囲いのない宗教博物館のように、神々と人々が交わる場所なのだ。時代の流れの中でも静かに守られてきたその信仰と、泉州の人々が日々の暮らしに込める畏敬と祈りの心に、私はいつも深く心を動かされる。

泉州を初めて訪れたとき、私を惹きつけたのは三歩ごとに廟があり、五歩ごとに寺があるというその密度ではなく、一面に広がる赤煉瓦の古い家並みだった。江南出身の私は、青い瓦の冷ややかな景色に慣れていたが、ここでは赤い煉瓦と赤い瓦が夕陽を受けて琥珀のような柔らかな光を放ち、時の流れさえゆるやかに感じられた。

このような閩南の民家は「皇宮起(ホアンコンチ)」と呼ばれている。伝説によれば、五代の閩王が誤って「汝府厝皇宮起」という賜り言葉を出したことから、赤煉瓦に赤瓦、燕の尾のように反り上がった屋根を持つ大きな家が泉州で大流行したという。泉州の人々は「大金を得て、大厝を建てる」と言い、大厝は単なる住まいではなく、一族の文化と信仰を凝縮した器でもある。

商いで富を築いた閩南の人々は、家を建てることに強いこだわりを持っていた。門の額には家系の繁栄を願う「衍派」「伝芳」などの文字が刻まれ、彫刻や彩色の梁や柱にはその功績が映し出されている。赤煉瓦は「出煉入石」と呼ばれる技法で積まれ、堅牢でありながら独特のリズムを奏でる。たとえ南洋へ渡って建てられた“番仔楼”であっても、西洋風のローマ柱の下には必ず赤煉瓦の基壇があり——それこそが、決して持ち去ることのできない故郷の根なのだ。

厝の中には、炊事や日々の暮らしの気配があり、同時に香炉や供え物が並ぶ。そこは、物質と精神の両方を包み込む庇護の場である。泉州の「佛生日(ほとけのたんじょうび)」は、まさにその信仰から生まれた行事で、ほとんど“第二の春節”とも言えるほどの賑わいを見せる。村々では早くから祭りの準備が始まり、家の中でも外でも掃除や供え物づくりに追われる。油鍋ではお菓子や酢肉がぱちぱちと音を立て、香ばしい匂いが路地に漂い、子どもたちはかまどのそばを離れようとしない。

海は泉州の命の源である。閩越の風習、北方から移り住んだ漢人、そして異国の商人たちがここで交わり共に生き、流動的で寛容な信仰文化を育んできた。この「新しきを喜び、古きを厭わない」信仰の姿勢は、決して迷信ではなく、想像と祈りによって描かれた精神の地図なのだ。

まさに『来去泉州』の語り手である泉州の老李さんが言うように——「この街の文化と歴史は、すべての泉州人が力を合わせて守り続けてきたものなのです。」


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