易しい言葉で理解する雅で上品な昆曲(昆曲の今昔)

水袖丹衣を身にまとって演じられるこの劇は、見る者を酔わせ、夢の中で思う人との出逢いを生む。もの柔らかく細やかで流麗悠長な「水磨調」、昆曲は中国に現存する最古の伝統劇の一つである。およそ600年前、煙雨がもうもうと立ち込める蘇州で産声をあげた昆曲は、文学、演劇、パフォーマンス、音楽、美術、そして舞踏を取り入れ、融合して一体となった。昆曲の演技体系、表現手法、そして一段また一段と深まっていく内容の豊富さは、京劇やその他の伝統劇に深い影響をもたらした。誰もが認める「百劇の母」と言われる理由はここにある。

豊かに栄える蘇州は昆曲の誕生と発展に十分な土壌を提供した。水の流れに架かる小橋、多種多様な庭園、当地の人間が口にする優しい呉方言という地域文化が、その美学の真髄として昆曲に注入されている。そして昆曲もまた脚本文学の創造、表現者たちの芝居、そして蘇州一帯の手工業の繁栄を促進し、徐々に全国で流行するにつれ、古いながらも時流に合った蘇州の、ひいては中国古代の審美眼と潮流を牽引したのである。

「中国に来たなら、蘇州を巡ろう」。本パンフレットは雅で上品な昆曲について平易な言葉で説明し、「水辺に佇む芸術の都」蘇州や、昆曲の上品さ、そして蘇州の生活が持つ緻密な味わいを知ってもらいたい。

昆曲の起源

明代、蘇州の昆山は海外貿易と内外との文化交流で非常に栄え発達していたところであり、「天下一の埠頭」と称されたこともあった。約600年前、中国北方で流行していた北曲と南方の南曲が、ここ昆山で運命的な出会いを果たした。こうして南北両曲のスタイルと蘇州地域の特徴とが結し、優しい呉方言の発声、音韻、演者の美しいプロポーション、「水磨調」と呼ばれる柔らかな曲調とを備える昆曲が誕生した。それ以来、昆曲は全国に伝わり、ついには宮廷の中にまで入り込み「国劇」となり、中国の劇壇をたった一つで300年近くリードしてきたのである。この時期の中国には、皇室から世間にいたるまで、昆曲の影響から逃れた潮流は存在しなかった。

盛世を元に生まれた音

昆曲が蘇州で誕生したことは歴史の偶然ではない。経済の発展が蘇州人の精神世界に対する弛まぬ追求を促進し、民間芸術と上流階級芸術の交流を加速させた。昆曲を聞き歌うことは当時の市民にとっては最もおしゃれな生活スタイルになっていたのである。

民衆だけではない。蘇州の文人や大夫たちも、昆曲のお決まりの曲調に歌詞をあてることを好んだ。彼らは文学の精粋を昆曲へと注入し、数々の美文と演劇性に非常に富んだ脚本を生み出すことで、昆曲を平俗なものから上品なものへと飛躍させるために突出した貢献を果たしたのである。清朝の時代、文人洪昇(1645年‐1704年)と湯顕祖(1648年‐1718年)は『長生殿』と『牡丹亭』の脚本を生み出し、全国を震撼させた。彼らの生み出した曲は中国全土で歌われ、今日に至るまで昆曲の代表的演目であり続けている。湯顕祖は「東洋のシェークスピア」としても知られている。

また、脚本の創作背景は古典庭園と切っても切り離せない。蘇州の古典庭園は初期の昆曲を成長させたゆりかごであり、最も美しい担体であった。『牡丹亭』のヒロイン杜麗娘が庭園で抱いた感情といい、唐明皇(玄宗)と楊貴妃が春景色の庭園でほとばしらせた愛といい、抑揚のある歌の調子としなやかで美しい踊りの仕草は古典庭園の曲がりくねった回廊の賜物である。数百年もの時間が庭園のレンガ一つ瓦一枚に凝縮されている。昆曲と庭園、そのどちらも緻密かつ細やかなものであり、あっさりと上品に精神性を表現するという点で通じるものがある。「昆曲とは耳で聞く庭園であり、庭園とは目で見る昆曲である」と評されるのも納得である。もし網師園に足を踏み入れるなら、夜の灯りのぼんやりとした雰囲気にどっぷりと浸りながら昆曲の演技を鑑賞してみてほしい。すると、ゆったりとした心持ちで暇を潰して楽しんだ古代の蘇州の人々の気持ちを身を持って体験できることだろう。

耳に留まり続ける余韻

近代において、昆曲は各種の原因で紆余曲折を経ることになった。しかし、伝統という土壌に根ざした芸術というものは常に岩の割れ目からでも鮮やかな花を咲かせることができる。昆曲が現代の人々の目の前に再び広く姿を現したのは2001年のことである。ユネスコ「人類の口承及び無形遺産の傑作」に昆曲が選定され、その歴史文化的価値が全世界の公認と保護を得たのである。

昆曲は疑いの余地なく上品かつ伝統的な芸術であり、一般観衆にとってやはりある程度鑑賞のハードルが高いのは事実である。しかし、たとえば作家白先勇が江蘇省蘇州昆劇院と協力して制作した『牡丹亭』は、原作の真髄を完璧に再現しつつも、庭園の美の要素やセンスをこれまでにはないほど注ぎ込み、美しさ、精巧さ、現実と虚構の狭間、静と動の使い分けを視覚的に表現している。純粋な昆曲の演技と中国の伝統的な詩、書道、絵画、刺繍が、それらが共通して持つ本質のもと、舞台上で完璧に融合され、心を揺さぶる美しい音楽とも結びつき、昆曲の美の境地をはっきりと浮かび上がらせている。古びた昆曲の新陳代謝を計り、現代的な美をきらめかせることで、昆曲を現代の若者の生活に溶け込ませると同時に、昆曲を街の一枚の名刺とし、2500年あまりの歴史と文化を持つ蘇州という街の容貌を現代の人々の前に再びつきつけているのである。

現在、三年に一度の中国昆劇芸術フェスティバルは昆曲ファンにとって盛大な盛り上がりを見せる場となっている。また、北京大学、蘇州大学、香港中文大学などの高等教育機関では昆曲に関する選択科目を開設し、大学における昆曲教育の新モデルを開拓している。また、多くの若者が蘇州へやってきて、昆曲の道を学び伝承しようとしている。中国の伝統文化への愛からそうする人もいれば、家に代々続いてきた生業として継承する者もいるが、どうあれ昆曲は現代に沸き返っている熱いトレンドの体現なのである。

昆曲は浮き沈みしながら、600年もの長い間決して衰えることなく、人々に優雅の境地極まる東洋の美学を見せるため、全力でやってきた。気分が沈んでいるとき、落ち着いて昆曲を一曲聞けば、「昆曲無他、唯有美字」(昆曲を語るなら、美しいという言葉のほかにはなにもない)という言葉の意味を真に理解できるはずだ。

ABOUT US