2021年6月25日、中国チベットに「拉林鉄道」が開通した。平均海抜3000メートルを走り、ヤルンツァンポ川を16回も渡り、カンティセ山脈とヒマラヤ山脈のあいだを走る高速鉄道に乗ることより、猛々しくてかっこいいことはないだろう。
20世紀の当時、アメリカの旅行作家ポール・セローは『中国鉄道大旅行』という本の中で「崑崙山脈があったら、鉄道は永遠にラサに着くことはないだろう」と書いた。
21世紀の今日、我々の鉄道はラサに着いたただけでなく、高速鉄道「復興号」もラサに到達した。雪の高原で160km/hの列車に乗って、中国南西部の高い山と深い谷を見渡すとは、一体どんな体験なのだろうか。
01行くぞ 「ハルク」
高い空から下を見下ろすと、ユーラシアとインドの地殻プレートが衝突して隆起したチベット高原を、ある緑色の列車がくねくね旋回しながらヤルンツァンポ川に沿って進み、435キロにわたって「チベットの江南」と呼ばれるニンティに到達する。列車全体が「エンジュグリーン」で塗られており、人々はそれを「ハルク」と呼ぶ。実際にはラサからニンティまでの直線距離はそう遠くないが、山が高くて谷が深い中で、313キロが無限に拡大され、手の届かない「天の道」となった。
画像|高原の「ハルク」
もともと地域が広大なチベットは、海抜が4500メートル以上で、空気が薄く、酸素量は内地の50%程度しかないため、「人類生命の禁止区域」とみなされている。過去では、鉄道はおろか、道路の建設さえ困難であった。
チベット人の尼珍によると、1930年代、彼女の祖母はラサに行くためにニンティから2カ月間の長旅をしなければならない、彼女の父になると、1950年代康蔵(川蔵)線が開通したので1周間揺られてラサに着くことができたが、今の彼女は、拉林公路を走れば車で5時間、「拉林鉄道」に乗ると3時間半でラサに着くことができる。
「昔は想像できなかったことだよ」
画像|高原に横たわる拉林鉄道
画像|工人たちは拉林鉄道に送電している
02一本の列車が、千年チベットを結び付く
この「拉林鉄道」の旅は、途中の三つの駅で下車して一見する価値がある。拉薩駅、山南駅、林芝駅である。この路線は風景が美しいだけでなく、東南地区の千年にわたる人文の歴史も結んでいる。
鉄道はヤルンツァンポ川に沿って建設され、「ヤルンツァンポ」は「高山から流れる雪水」を意味し、チベット人に「ゆりかご」と「母なる川」とみなされている。ヤルンツァンポ川はヒマラヤの北麓から東に向かい、山南地方で雅礱江が分かれ、豊かな雅礱渓谷を形成している。温暖な気候であるため、栽培や放牧に適している。そして、紀元前2世紀、チベットの最初のザンプ(チベットの王)ニエチはこの渓谷で生まれた。
のちに王朝の中心は邏些(ラサ)に移ったが、29代から40代までのザンプを埋葬した蔵王の墓は、雅礱河畔にひっそりと横たわっている。
チベットの多くの「最初」は山南で作られた。最初のザンプ、最初の農地、最初の寺院(サムイェー寺)、最初の宮殿(ユムブラカン)など。
さらに東へ行くと、ヤルンツァンポ川はラサ川に分かれる。紀元7世紀、第33代ザンプのソンツェン・ガンポは、要害で雄峙の邏些(ラサ)のほうが都の建設に適していると判断し、不思議な都市ラサをこの地に誕生させた。
チベットの人はポタラ宮よりも、ラサの魂が大昭寺にあると信じていて、ここでは世界で唯一の釈迦牟尼12歳の等身仏像がある。
ニンティはヤルンツァンポ川の上流に位置しているにも関わらず、広大なニャン河がこの地に絶えず養分を与えている。数千年前から人類がこの地域で活動していたが、巨大な地形の垂直落差(海抜3000メートルから900メートルまで)のため、この地で大規模な都市を形成できなかった。
だがニンティの自然風景は、十分に人を驚嘆させる。世界で最も大きく、最も深い峡谷——ヤルンツァンポ大峡谷はここで曲がった。海抜7782メートルのナムチャバルワは霧の中で半分隠れている。森、牧場、草原が華やかなルーランの町は、「東洋の小さなスイス」と呼ばれる。
03高原と平原、「双方向」の駆けつけ
「拉林鉄道」の運転手、斯朗旺扎さんはチャムドの出身で、彼の一番の願いは列車を運転して故郷に帰ることだ(川蔵鉄道はチャムドを通る)。「以前、私は蘭州の学校に通っていました。一回に家に帰るのに汽車を使い、それからバスを三回も乗り換えて、最低三日間をかかりました。」今、鉄道はすでにラサからニンティまで開通し、更に東に進めば、運転手の旺扎さんはまもなく故郷に着くことができる。
画像|斯朗旺扎の一番の願いは列車を運転して故郷に帰る / 老芸術家摄
阿里地区から来た娘卓馬は「高考」(中国の統一大学入試)を終えたばかりで、初めて列車に乗ってラサから山南へ行く。「便利でよかった。こんなに早いとは思わなかったわ」。卓馬は阿里の人で、ラサの親戚の家に下宿して、山南で高校に通っている。鉄道がなかった以前は8時間も車に揺られて学校に通っていた。卓馬の好きな大学は陕西省にある大学で、彼女はチベットを離れたことがなく、心の中はどきどきしながら期待している。これらの話を言う時、卓馬の目はきらきらしていて、頬にある2つの「高原レッド」(高原に住む方の頬が赤くなりやすい)に引き立てられ、一層可愛く見える。
2021年7月までに、チベット鉄道の運行距離はすでに1000キロ余りに達し、青蔵鉄道、拉日鉄道及び拉林鉄道はラサ、ナクチュ、イルカシュガル、山南及びニンティのいくつかの大都市を連結し、チベット人が他の地域に行くことも、高原と平原の間で「双方向に向かう」ことも、もはや困難ではなくなった。
画像|青藏鉄路 / 图虫
—「九行トラベル」より