今日は共に木々に思いを馳せることにしよう。数日前のことだ。杭州の市民たちは西湖の断橋の隣に植わっていた柳の木々が無くなっていることに気づいた。専門家が言うには、これらの柳は虫害によって病気に罹り、検討の結果、コウシンバラの木と植え替えられてしまったという。すると、ネット上で予想外の大論争が沸き起こった。そしてその結果、再び夜を徹した作業を経て柳の木々が植えられることになったのだ。このニュースを見て驚いた杭州人たちは「ここの見所は段橋しかないと思っていたのに、まさかこんなに美しい柳の新芽を目にすることができるなんて、誰が思っただろうか」という文句を繰り返した。彼らを突き動かしたのは何も柳だけが原因ではない。幾代もの人々の心に植えつけられた町の記憶なのであり、さらにはありふれた生活の中に潜んでいる文化と詩意なのだ。
写真|清可
一株の草木、一抹の記憶
古い詩はこう詠っている。「西湖のほとりの柳の枝は百とも千とも言えるほどだ。その枝のすべてが、まるでリボンのように垂れ下がっている」。ここから分かるように、西湖は杭州の魂であり、柳は西湖のイメージなのだ。ここでいうイメージとは、周囲がどんなに変化しようとも変えることができない記憶と想像のことである。湖面に倒影した淡い緑が揺れながら、遠くに見える段橋を引き立てる、それが杭州人が抱いている情景だ。通りがかったおばあちゃんが言うには、ここでは以前、「かすかな風が吹くと、その風とともに柳の木々がなよやかになびいた」そうだ。コウシンバラに植え替えてしまうと、人為的で不自然さを感じてしまう。
写真|清可
そのような感覚は他の町の人々にも深く共感できるはずだ。たとえば、幼い頃沙面に住んでいた、ある根っからの広州のおじさんは、夕方になるといつも階下のガジュマルの木の下へ行って昔話を聞きながら涼をとったことを思い出す。シュロの葉の団扇で仰ぐ風は涼しかったものだ。中学校に上がった後に引越したので多くの記憶はぼんやりとしているが、それでも子ども時代の大きなガジュマルのことは忘れられないという。広州の人々にとってガジュマルの木は町を見守ってきた長老のような存在であり、十分な敬意を持つべき対象であって、都市開発によって捨てられてよい「老人」ではないのだ。
写真|我行我楽
南京の場合、「老人」はアオギリである。「アオギリの木の下に立って金陵飯店を見上げると、その高さに思わず帽子が脱げ落ちてしまう」。これは80年代に南京の人々の間で流行った俗言だ。しかし現在、金陵飯店の前のアオギリは姿を消してしまった。また、かつては二万株あまりあった「民国のアオギリ」は今では3000株しか残っていない。おかあさんが漕ぐ自転車の後ろに乗ってアオギリの木陰を通り過ぎ、ときおり差し込む木漏れ日を手で受け止めたあの日のことを、多くの人々は懐かしく思っている。
写真12|游侠客旅行
300年前の成都には「キンモクセイの路地」があった。これは後に「桂花巷」と名を変えたが、2年前にはなんと一時的に花をつけなくなってしまった。古くからの成都人は、キンモクセイの木の下に座ってマージャンやおしゃべりをしたりお茶を飲んで新聞を読んで過ごした、あのゆったりとした午後のことが忘れられない。そこで流れる時間はキンモクセイの香りのように芳しく、甘く漂っていたのである。
写真|成都巴适王生活
写真|大成都
杭州西湖にとっての柳は、広州のガジュマルであり、南京のアオギリであり、成都のキンモクセイだ。草木は人々の記憶であり、町の魂なのだ。
ひと枝ごとに込められた詩意
冒頭に紹介したニュースのコメント欄では、一部の人々が「柳を何本か植え替えただけでそこまで西湖全体に影響するの?」というように、必ずしも激しいとは言えない反応を見せた。そこで、あるコメントがすぐに「銭塘風月西湖柳」(銭塘の景色と西湖の柳を鑑賞する)という詩の一句を持ち出すと、たちまち多くのコメントが詩や歌を持ってこれに応じたのだ。
私は蘇東坡(蘇軾)がかつて西湖は杭州の目鼻だと言ったことを思い出した。彼は自らの手で(今では蘇堤と呼ばれている)堤の上に柳を植えた。美人に化粧を施すために彼はそうしたのだ。このように西湖の柳は杭州の春の目鼻だと言える存在なのである。毎日少しずつ暖かくなるにつれ、西湖の柳の木は日々新芽を覗かせ、杭州の人々にやがて春がやってくることを知らせる。広州ではガジュマルを見れば木陰での読書と納涼が頭に浮かぶ。アオギリが黄色く色づけば南京は金陵へと姿を変え、詩の一節のとおり、まさに「アオギリの葉が落ちれば、また秋が巡ってきて、物寂しさが還ってくる」。また、「人気のない静けさのなか、キンモクセイの花だけがパラパラと散っては落ちる」という詩の一句を思えば、淡く、黄色く、そしていつまでも香る、甘くゆったりとした成都の夏の匂いが蘇る。これらの植物は町の単なる景観だけではない。彼らは春夏秋の巡りとともに人々の生活の記憶をいつまでも蓄積し続けてくれる。さらには豊富な詩意を身にまとい漂わせている存在なのだ。
写真|清可
もし西湖から柳を無くし、その替わりにコウシンバラを植えてしまうと、それはもう西湖ではない。多くの人がそう口にする。というのも、中国にはたくさんの町があって、そこには多くの湖があるけれど、柳と西湖があって初めて私たちの心の中の杭州西湖にぴったりとくるからだ。もしあらゆる町が利便性や管理のしやすさのために同じような木々を植えたとすれば、どうなるだろうか。その町はその町だけが持っていた美しさを失ってしまうことだろう。
草木は長い年月を延々と生き続けることで、町に生きる人々に記憶をもたらしてくれる存在だ。そして木々は百年あるいは千年という長い時間の経過を身にまとうことで、彼らを愛し好んだ過去の人々の詩意を私たちに伝えてくれるのだ。記憶がもたらす温度や詩意はとても味わい深い。木々はひとつの町の美学を作り上げ、その町独特の雰囲気を醸し出してくれる。私たちが彼らに思わず心高ぶらせる原因は、まさにここにあるのだ。
写真|擬見
物道君【物道】より