夜明け前の不思議な広州「鬼市」、天光墟の魅力と歴史

午前3時頃、広州では夜な夜な不思議な蚤の市「鬼市」が開かれる。

夜になると、ある場所がにぎやかになり、いろいろな掛け声が交錯し、都市の交響曲のように、夜に奏でられる。深夜に市場を開き、夜明けに店を畳み、通称「鬼市」と呼ばれ、広東語で「天光墟」と呼ばれている。

01 天光墟を再訪する

3時15分。

雨のせいか、海珠橋の鬼市は、ばらばらで、まばらに並んでいる。しかし、各店主が入場することで、注目を集めることができる。

一台の自転車は、大小さまざまな麻布袋を乗せて、荷物が完全に降ろされるのを待っていないうちに、早く現場に来てぶらぶらしていた人たちに囲まれて、何か「新鮮でいいもの」が登場するのを楽しみにしていた。

一人の若者の真っ赤なかごがおばあさんの注意を引いた。目が合うと、男はかごを手に取って「これは昔子供を背負うための道具で、上の牡丹はまだ美しい」と説明した。明らかに、これは今ではあまり流行していない。

自転車に乗ったおじいさんは、玉器の屋台に向かって行き、懐中電灯で玉を繰り返し撮った。3秒、5秒、7秒……言葉がなければ、この商売はできないことがわかる。

沈黙を破ったのはおじさんの取引だった。今日最初に売れたのは3元のバッグだ。いくら売るかは重要か、それほど重要でもないようだ。

人ごみの中で、一人のおじいさんが地面に座って、目の前の3、2個の玉を大切にしていた。懐中電灯は手から離さず、かすかな街灯の下で、すべて玉の上に焦点を当てて、舞台のスターのようにキラキラしていて、ひときわ輝いている。

最後の屋台はおもちゃを売っている。店主は孫の小さい頃のおもちゃや本を売っていて、破損もあれば、一定の年月もあった。

「彼は大きくなったので、おもちゃはいらない。捨てるのはもったいないから、私が持ってきて売る」。

「1元、2元のものはすべてある。そして、これらの人形は、すべてあなたに送ることができる」

店主は楽観的で明るく、広州で長年働いていたが、今はここに定住し、孫の話をする時、目には誇りが透けていた。

空がだんだん明るくなってきた。道に人通りが多くなった。元気なおばあさんは、太極拳を始めた。木の下では、3人のおじいさんが、1人は悠然と横になって、2人はベンチでおしゃべりをしていった。早起きした労働者は鬼市を通り抜けた。川辺で釣りに夢中になっていた若者は、時々振り返った。

02 千年「鬼市」、何でもある

清朝末期(1636年-1912年)に貴族の骨董品が民間に流れ落ちたと伝えられている。骨董商たちは骨董品を広州に集め、海外に密輸する準備をしている。広州で最初の深夜市場が、大量に出現し始めた。これが今の「天光墟」の由来だ。

昔の鬼市には何でもあり、武器や宮廷内の官服などの高級品もあった。今日でも広州鬼市は百年以上の歴史があるが、時代がどんなに変わっても、売買ということはその最も原始的な取引法則に従っている。

夜のうちに、人々は良いものを買いたいと思っている。散らばった屋台には、前世紀の面白い古物や、さまざまな生活古物があった。

例えば、食べかけのうどん、半分削った鉛筆、賞味期限が切れそうなポテトチップス、各種涼茶、古い靴、まだ使えるノキアの携帯電話、劉徳華のアルバム、王菲のレコード、粤劇のCDなど。

6時近くになって、夜が明けた。

近くに住んでいる丙哥は、天光墟の常連客だ。彼は何度もぶらぶらして、夜中の時間は全部ここで過ごした。丙哥にとって、夜が明けて、屋台の宝物もあまり売れなくなった。

丙哥は古いものの収集に熱中し、「鬼市」で本当に年のある宝物を手に入れることができるのは、もう容易ではない。彼は子供たちに骨董品を残したいと思っていた。「彼らが年を取るにつれて、これらのものはもっと価値がある」。

朝7時。

バスが多くなってきて、鬼市もだんだん人が退散してきた。道端に横たわっていた店主は、立ち上がって店を畳んだ。ラジオには、「生活はいつも続く」という歌が流れていた。夢は美しいほど傷が強く、今夜を過ぎたら私は過去に戻るしかない。生活はどうであれ続けなければならない。

——広州の「鬼市」は消えるのか?

ここ数年、いくつかの都市は整理整頓を経て、天光墟はもう以前のにぎわいがなくなった。「いつまでたっても過去に戻れない」おもちゃを売る店主の残念さよりも、中国の中古市場が1500年も存在していて、消えるはずがないと信じてやまない人もいるだろう。

中古市場はちょうど必要なものであり、都市の不可欠な生活版図でもある。

—「那一座城」より

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