什刹海のスケート場へ、「老北京」の冬の喜びを感じよう!

人々の印象の中で、冬の北京は雪と最もマッチしているのだろう。雪が降ると、老北京の冬が始まり、城内の人も興奮になる。どうしてというとこの時期から北京人と什刹海、スケートに関わる冬の物語も始まるのである。

什刹海を「海」と呼ばれても、実は一面のあまり大きくない水域で、昔から周囲に十箇所の古寺があったため、「什刹海」と名付けられた。什刹海が冬に入ると、あの歓楽の海を還元してくれる。什刹海に氷が張ると、北京に冬が訪れる。

什刹海といえば、一世代上の人には語るべき物語がたくさんある。什刹海のスケートリンクは、いくつの世代の人々の若い歳月を証言し、また無数の楽しみと夢を与えた。什刹海のスケートリンクは街の中心にあり、少し歩くと、景山にも登れるし、故宮にも入ることができる。近くにある北海、中海、南海のいくつかの水域はもちろん冬にも氷が張るが、什刹海だけは無料で市民たちがスケートのために出入りすることを許されていたので、一番有名となった。什刹海スケートリンクはこだわりがあって、エリアに分けて、正規のスケート靴を履く人はメインエリアに行くが、メインスケートリンクも2コースに分かれていて、ひとつはスピードスケートで、もう一つはフィギュアスケートである。

冬の露天スケートを楽しむのは、北京の特殊な伝統と言えよう。この行事は、もともとは皇宮内苑に属していた。毎年臘八の前後に、八旗の子弟が「氷嬉大典」を催していた。時代の移り変わりは、多くの変化を人々にもたらした。今日の什刹海は冬になっても賑やかだが、氷面は景勝地に囲まれていて、料金を払わなければ中で遊ぶことができない。それから若者により多くの遊び先ができたので、什刹海はもう昔の熱血と江湖の息吹を失った。

しかし、歳月が蓄積してくると、什刹海しか語らない物語がある。北京市内で最も大衆的な場所である什刹海は歴史が長く、冬のスケートだけに止まらず生活情緒に富んでいる。文物古跡、自然風景、民家民俗、伝説や故実などが織りなし、北京文化の輝かしいオムニバスのように、老北京の記憶を探す良い場所を人々に残してくれた。

ここに残された魅力的な記憶は余りにも多くて、近くに宋慶齢、郭沫若、梅蘭芳の著名人の故居があって、恭王府、順親王府、涛貝勒府のような豪邸と大庭があるだけではなく、鐘鼓楼、広化寺など著名な文物古跡、大小の金糸胡同、白米斜街、煙袋斜街、甘露胡同、大小の石碑胡同など、歩けば歩ききれなくて、見ては見きれない北京市民の風情も沢山ある。今後、北京にはきっと更にたくさん新しい流行りのスポットが現れるだろうが、人々の心の中で什刹海はかけがえのない存在だ。

不思議なことに、正方と対称な形を基本的な作りとする北京城は、意外にもその中心部に、非対称な、静かなで蛇行する海が存在していて、人々が想いを馳せている。この悠揚な水域は、壮麗な都と相まって趣を成し、わざとこの土地のために生まれた造化のようだ。皇城の一番近くにあっても、什刹海は大きな包容性を持ち、代々の役人や文人、庶民を引きつけていた。元代の京杭大運河時代から、ここには清流が舟を載せ、酒楼や歌台、商店や工房のにぎやかな光景が欠かせなく、今でも北京で最も人情味のある場所だと言っても過言ではない。

什刹海、水のため生まれて、また水のように婉曲で情が深い。多くの繁栄はすでに歴史として書かれていたが、いつも別の形で生まれ変わっている。


北京の冬、什刹海に行かない理由はどこにあるのか。北京城の欠かすことのできない景色であるだけではなく、都市の真ん中に一隅の暖かい空間でもあるのだ。つややかできらめく氷の上でスケートしている一人一人が喜びの音符のようで、遠い昔から届けに来て、遠くて近い、平凡で暖かい。この喜びはあなたがどこから来ても、共通しているはずだ。この追憶も、いつまで経っても、人々の心を温めてくれる。

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