中国最後の狩猟部族、エヴェンキ族を探る旅

内蒙古根河市、中国で最も寒い都市、朝4時、霧が北大興安嶺を覆い、長い間散らず、大興安嶺で最も寒い季節が始まる。ここに住んでいるオルグヤ・エヴェンキ人は、「中国最後の狩猟部族」と呼ばれ、古代から大興安嶺に生息し、狩猟を生業とし、トナカイを伴って暮らしてきた。

01 中国最後の狩猟部族

中国最後の狩猟民族であるエヴェンキ族の支系である「オルグヤ・エヴェンキ」は、「トナカイ飼育・エヴェンキ」とも呼ばれている。「エヴェンキ」とは、「山林に住む人々」を意味する。300年以上前、エヴェンキ族の最も神秘的な支系はトナカイを駆使し、バイカル湖、北室韋などからアルグン川流域に移り、最終的に大興安嶺の密林の奥、根河の最北のオルグヤ河畔に残った。

オルグヤ・エヴェンキ人は終生大興安嶺の中で暮らし、狩猟を生業とし、中国で唯一野生のトナカイを牧畜する遊猟部族でもある。トナカイは泉水を飲んだり、苔を食べたりして、エヴェンキ人には最も神聖かつ純潔である動物だ。エヴェンキ人はトナカイが苔を探す方向に沿って、季節に合わせて部族を移動し、一年に最大20回も移転している。

森林の奥に住んでいるエヴェンキ人は外部との連絡が少なく、生活用品はすべて自然に由来している。彼らは獣皮で靴、帽子、服、布団を作り、人とトナカイに必要な食塩を取った。彼らは樺皮をかご、船、ベビーベッド、飾り物にし、獣の骨をアクセサリーにした。

樺皮で工芸品を作る

彼らは「撮羅子」の中に住んでおり、地元では「仙人柱」とも呼ばれている。松の木によって建てられた尖ったテント、冬は獣皮を掛け、夏は樺皮を掛ける。解体しやすく、構造は簡単だが「冬暖夏涼」を保証することができる。「撮羅子」の上には天井が張られておらず、夜間に炊煙が上がると、大きな星空が見える。

エヴェンキ人にとって、彼らは自然を生業とし、同時に自然を畏敬している。先人から最も原始的な狩猟生活が残り、代々自然法則に従ってきた。彼らは密林に住み、産業革命を避けた。20世紀に現代文明が大興安嶺に入り、三回の移転を経て、彼らは原始林を離れ、今は根河市のアルグン左旗オルグヤ・エヴェンキ族郷に住んでいる。2003年、オルグヤ・エヴェンキ人は猟銃を上納し、「中国最後の狩猟部族」は狩猟生活に徹底的に別れを告げた。

02 森林の奥のグルメ

大興安嶺西北森林地区に生息するオルグヤ・エヴェンキ人は、最も原始的な狩猟、漁猟、牧畜トナカイの生活を残している。焼きパン、生クリーム、干し肉、ソーセージ、焼肉、鹿肉(非トナカイ)が日常の食事を構成している。

「列巴」は「格列巴」とも呼ばれ、焼きパンという意味だ。「列巴」は黄金色で、真ん中はふんわりしていて、縁はカリカリしている。持ち運びや保管に便利で、オルグヤ・エヴェンキ人の最も伝統的で常備されている食べ物となっている。

初秋の季節には野果が成熟し、山いっぱいに広がるブルーベリー、アズキ、「山丁子」、「稠李」は、エヴェンキ人の最高のおかずになった。

山丁子

稠李

「篤斯」は大興安嶺地区に生える野生のブルーベリー

「篤斯」は、私たちがよく見るブルーベリーとは異なり、より小さく、より紫色的な野果で、白露の前後は収穫の季節で、「篤斯」の味は酸っぱいで、エヴェンキ人は摘んだブルーベリーを水に入れて煮、砂糖を加えてジャムにした「篤斯」のジャムは「列巴」と同様、長く保存でき、頻繁に移動するのに適している。煮終わったら缶や樺皮桶の中に入れて、地下に埋めて、寒い日に取り出して、甘酸っぱくておいしいだけでなく、お酒の香りもある。「列巴」にジャムを合わせたり、生クリームを塗ったりするのが、エヴェンキ族がよく食べる美食だ。

オルグヤ・エヴェンキ人は農耕せず、狩猟で生計を立てている。山林の中のヘラジカ、シカ、シベリアノロジカ、イノシシ、クマ、エゾライチョウ、リスは、彼らの狩猟対象だ。エヴェンキ族は漁猟の伝統を残しており、捕った魚は焼くだけでなく、煮込みにもして、ネギと塩を入れて、そのままの味を出す。

ヘラジカもエヴェンキ人の狩猟対象であり、トナカイと同属ではない

オルグヤ・エヴェンキ族は神様に最も近い部族だ。「エヴェンキ人が暮らす山では、火災が発生したことはない。エヴェンキ人は狩りをするが、大興安嶺の野生動物は絶滅したことがない。どんなに遠くまで行っても、エヴェンキ人の呼びかけで無事に帰ってくることができる」という言い方がある。

白露の後、渡り鳥は南へ飛び始め、自然界の生物は移転し始めた。しかし、エヴェンキ人にとって、森林とトナカイがいる場所こそ、永遠の家だ。

川に沿って移転する

—「美食台」より

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