宿遷で健康を養い、逍遥する

世の人は皆、春の活気を称えるのを好む。しかし、実は秋の景色のほうがもっと華麗である。ひとたび秋風が吹くと、たくさんの風景はたちまち深い秋色に染まる。秋、私たちは実りを収穫する。全部染まりきった山川に茂る木々や、田畑に実った美味そうな果物や野菜、丸々と太った湖の魚やエビ…… では、秋の宿遷を訪れた私たちは何を収穫すればよいのだろうか。酒の都宿遷は各地豪気な気質で、この土地を巡る旅には「独り杖剣を携え天涯を行く」趣きがある。とはいえ秋の宿遷を旅行するなら、そんな満腔の熱血以外にも、心を静め、身体を休め、自然に分け入り、精神を奮い起こし、心行くまでこの土地の風土を遊覧する、そんな旅をしてみてはどうだろうか。

漁師の歌声が響き渡る————駱馬湖旅遊リゾート区

秋の駱馬湖は見渡す限り果てしない。湖水の上には霞が広がり、この季節特有の混じりっ気ない美しさがある。天気の良い日を選んで出かけ、日の出をゆっくりと待ってみよう。うっすらとした霧霞の中から、真っ赤な太陽が湖面をゆっくりと昇ってゆく。すると湖面の波が瞬時にきらりと反射し、まるで湖全体の水が呼び覚まされたかのようである。このような情景を見て、秋という季節には死しかなく生まれるものがないなどと誰が口にできるだろうか。また、美しい午後には駱湖沙灘公園にやってきて、遊覧船か画舫に乗り、水面に船を浮かべ、「碧い波を舟で行く」楽しみを身体で感じてみよう。波しぶきが岸を打つ音に耳を傾け、すばやく飛ぶサギを眺めると、特別な味わいがある。日没の頃には、夕景色の中を風に乗って進み、空いっぱいに広がる彩雲に目をやれば、湖のいたるところがきらきらと金色に輝いている。こうして駱馬湖の秋色は日ごとに深まっていくのである。

もちろん、秋の季節に人の心を最も温めてくれるのは湖畔に住む人々の生活の情景である。湖水で育った魚やエビは丸々と太り、辺りには豊収を祝う漁歌が響き渡る。漁民たちは風を突き進み波を超え、その汗には湖の匂いが染みつき、漁網には幸せな生活が編みこまれている。彼らは旧暦の12月になると駱馬湖中央に浮かぶ戴場島を訪れる。この時期にはひとしきりの清風に良い香りが漂う。漁民たちは水揚げした魚を伝統的な手法を用いて、漬け込み、そして天日干しにするからだ。これが駱馬湖特産の「風魚」である。岸辺一帯に各種魚が干される光景は駱馬湖の独特の風景になっている。

悠々と花咲き誇る――三台山国家森林公園

宿遷では、人々は寒い冬がやって来る前、外に出かけて秋の日を過ごそうと考える。空高く空気が澄んだ季節、新鮮な空気を吸って気持ちを切り替えようと思うのである。こうして人々は美しい三台山に惚れ込んでいる。万物がまさに過ぎ去ろうとするひっそりとした時節にあって、人々はいつもとは違った色彩を見たいと思い、再びここを訪れるのである。

木々が海のように植わる三台山は、至る所全てが美景である。色とりどりの森林では、ケヤキ、ナンキンハゼ、イロハモミジなどの木々が次から次へと「衣替え」を終わらせている。辺り一帯はナンキンハゼの赤で満ち、周囲の地面にはギンナンが落ちていて、すぐそばに色彩豊かな秋を感じることができる。入り乱れた色とりどりの葉たちが瞼に入り、絶対美を目で味わうことができるだろう。

初秋の衲田では、秋の花が変わらず盛りを迎えている。ヒャクニチソウ、セイヨウフウチョウソウ、コスモスなどがすでにその美しい顔を披露している。艶麗な赤と可愛らしいピンクの美しさは、美しいの一言では片づけられない。また、目に収めきれないほど広がるミューレンベルギアが風と一緒に揺れては止まり揺れては止まりすると、まるで童話の世界のような味わいを彷彿とさせる。毎年9月は三台山の花見のベストシーズンである。おそらく秋のもっとも心休まることは、天気の良い日に三台山をそぞろ歩きし、秋の日の柔らかな光がくれる気持ちよさと心地よさを満喫することだろう。

広々と果てしない古木———古栗林公園

宿遷沭陽の古栗林は江蘇省北部地区において最も完全かつ良好に保存された、300年もの長い歴史を有する古植物園である。聞くところによると、ここは明清の時期に栗を植える伝統があったことに端を発する。そのため沭陽の「大紅袍板栗」の名は遠くまで知れ渡っている。古栗林生態公園は約33ヘクタール近くを占め、樹齢百年以上の栗の古木が1000株あまり植わっている。生態公園内では「年長」の栗の古木には全てそれぞれ独自のIDが記されたプレートが掛けられており、沭陽県の古樹目録に重点保護対象としてリストアップされている。

現在、これらの栗の古木は保護対象であると同時に、人々にとっては秋を満喫しに出かける場所となっている。人々はここで栗を摘んだり、テントを張ってキャンプしたり、水上観光をしたり、釣り糸を垂らしたり、親子学習イベントなどを体験することができる。ここの古木の一本一本は、時の移り変わりの中で風雨に晒されながら、この土地が繰り広げてきた壮大な新生を見届けてきたのである。

快晴の日に秋の軽装を身にまとって出かける、宿遷にはこれに勝るものはない。こまごまとした悩みをきれいさっぱり忘れてしまった後で、この街を気ままにぶらぶら歩き、秋の湖を眺め、花に目を止め、古木を思う。これこそ、この短くも華麗な秋を無駄にしない過ごし方なのだ。

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