福建省に来て一級の鉄観音と烏龍茶を飲んでみましょう

11月29日、「中国の伝統的な製茶技術とその関連習俗」はユネスコ人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に登録された。昔の人は、このような苦い葉っぱが香りのよい飲み物に加工できることを、どうやって発見したのだろうか。

泉州:西街初品茶

泉州古城に住む人々には 「貴族気質」 があるようで、たとえ荊扉に住んでいても、生活の細部にはこだわりがある。特に分かりやすいのは、お茶を飲むことだ。

画像|毛茶を選り分ける/宋小虎

鉄観音は安溪産のものが一番良いと言われているが、実は「内安溪」と「外安溪」の違いもあり、「内」は茶の木の生長に最も適する海抜の高い山地を指し、「外」は交通がより便利な平原地区を指す。

お茶には「春茶」が一番だと言われているが、鉄観音は四季を通じて生産される。最も賑やかな旬は秋で、最も絶妙な味は 「冬茶」 から出てくる。

鉄観音は作る時に環境に対する要求が非常に高いので、現在の茶農家では大体恒温恒湿の空調房(エアコンが備えている部屋)で茶葉を炒めている。このように作ったお茶の成功率はとても高いが、出てきた 「空調茶」 の香りはとても薄く、普通は3回入れた後に味がなくなる。

安溪:遅れた訪問客

福建省は中国内陸部の「もっとも緑」 の省で、いきいきとした緑がいたるところにあり、その中の多くは茶園である。タイユンシャン(戴雲山)山脈は福建省中部に横たわり、 「福建中央の屋根」 と呼ばれている。この 「屋根」 は東シナ海からの水蒸気を上昇させ、雲雨を形成し、同時にまた北方からの冷たい空気を遮断し、茶の木の成長に素晴らしい環境を提供した。そのため、タイユンシャン(戴雲山)山脈でも武夷山脈でも、良いお茶は南斜面で栽培されているが、山脈の北麓には決して良いお茶はない。

安渓の町はこの深い緑に包まれている。安渓の町はこの深い緑に包まれている。安渓の人々が他郷へ旅立つのに伴い、安渓のお茶葉も戴雲山地を出て、全世界に広がった。前世紀の20・30年代、東南アジアに居住する安渓人は100軒余りの茶屋を開業し、安渓のお茶葉をシンガポール、マレーシア、タイ、フィリピンなどに大量に輸出し始めた。

1980年代、日本でウーロン茶ブームが始まった。その後の30年間で、日本のウーロン茶の年間輸入量は2トンから2万トンに急増した。その主なお茶が鉄観音である。現在、安渓で生産されたお茶葉の80%が日本に輸出されている。

画像|茶摘みの演出/林淑芬

画像|茶道の演出/宋小虎

蓬莱:お茶好きの神様

この蓬莱はよく聞く蓬莱ではないが、仙山の1つでもある。蓬莱山には神様だけでなく、探している茶園もあるのだ。一見したところ、山の中腹にあるこの茶園は、今まで見てきた茶園とあまり違いがないように見える。ただ、より緑が濃いだけだ。なぜかというと、茶の木の間に柿の木、リュウガンの木、ホウオウボクがたくさん植えられているからだ。

茶葉を一枚摘んで、口の中で噛んでみたら、その味は苦くて渋くて、熟知の茶葉の香りがまったくなかった。安渓には鉄観音の伝説がある。昔、仏教を篤く信仰していた茶農家がいて、彼の敬虔さに感服した観音はある晩彼に夢を託した。彼は夢の中で乱石の中に一本の茶の木を発見した。翌日目を覚ましたら、茶農家は夢の中で示したとおりに探したら、やはりその茶の木を見つけた。そしてその木を家に移植し、夢の中の観音の導通りに一本の鉄鼎の中に植えた。「鉄観音」はここから名付けられた。

画像|図虫:无米不炊

感德:お茶の夜市

漫山の茶園を見たが、私はまだ「内安渓」地区に足を踏み入れていない。これから訪れる感徳鎮は、本当に「外から内まで」鉄観音を理解させる場所である。この町は安渓西部の険しい山々に隠れ、晋江の源にほぼ達しており、最も代表的な「内安渓」区域の1つである。

車は安渓町を出て、西渓を遡って、青山翠谷の間を通り抜けた。道沿いには多くの村が点在しているが、その多くは白壁と黒瓦の伝統的なものだ。民家の開放的な2階の物干し場には、竹ザルに盛られた新鮮な緑色のお茶葉の束がある。運転手は後ろを振り向いて、「さあ、降りてお茶を飲もう」と言った。

それで気づいたのだ。村人たちは屋台を村の外の道路沿いに置いている。それぞれの屋台にはステンレス製の統一様式の茶卓が置かれている。そして、茶卓の上には鉄観音を飲むための蓋碗があり、茶卓の下には湯沸かし用のガスボンベが繋がっていて、茶卓のそばには新鮮な「毛茶」(完成したがまだ選別されていない茶葉)が入っている麻袋がいくつかある。山道には鉄観音の香りが漂っている。

画像|図虫:張強559

茶の旬になると、安渓山のほとんどの村は道路のそばにこのような市集を開いて、往来の客に自分の村のお茶葉を売り込むのだ。私のように明らかに 「お茶を無料でいただく」人でも、 地元の人々は笑顔で迎えてくれる。彼らにとって、お茶葉を何杯作っても大したことはない。ただおしゃべりをしているのと同じだ。

道端に目立つ「中国お茶葉第一鎮」の石の表示を見れば、感徳鎮に着くのだ。山中の一町にすぎないが、お茶葉の商売で活気があり、町のいたるところに茶工場や茶店があり、町でもすべての空き地にお茶の木が植えられている。町でカンフーティーを一回り飲み、香りのする新茶を何袋か買ったら、いつの間にか夜になっていた。

この山間の町の夜の生活は退屈でつまらないだろうと思っていたが、夜になると昼間よりもにぎやかになり、ライトアップされた街が夜市に変身する。夜市の主役はグルメやビールではなく、お茶だ。

画像|図虫:阿吉李ー

茶葉屋たちはドアの前に真っ白な電球をかけ、昼間に見たことのある「一体型」ステンレスの茶卓を並べ、茶葉屋の店主は茶卓の後ろに寄りかかって、近所の茶農家たちが作ったばかりの茶を麻袋で背負ってくるのを待つ。

茶農家が訪ねてくると、店主は麻袋から茶葉を取り出し、蓋椀に入れ、熱湯をかけてしばらく蒸らし、蓋を取って香りを嗅いでから、小さなひしゃくで茶湯を少しすくって、口の中で細かくもぐもぐする。

これらの茶葉屋の店長は皆、お茶を鑑定する達人で、非常に鋭敏な嗅覚と味覚を持っている。そこで、お茶を楽しみにしている福建南部地区では、「闘茶」のスタイルが生まれた。それはお茶を鑑定する腕前を比べる試合で、闘茶大会で勝ち抜いた「茶王」は有名で利益を得ることが多い。

もし茶農家は茶葉屋の店主と話を付けなかったら、またお茶葉を背負って別の茶葉屋に行って運を試す。それで街全体に人が行き交い、騒ぎ、水蒸気も立ち上り、お茶の香りが溢れる。

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