大旅行家マルコ・ポーロの旅行記には輝いていた都市があった。中国の元代にはすでに「貴城」と呼ばれていた。それが、河北の正定だ。滹沱河のほとりに、この1600年の歴史がある古城は 、「九楼四塔八大寺、二十四の金牌楼」で名高く、 「中国古代建築博物館」 との誉れがある。
今日は歴史のほこりをぬぐい、1000年も隠した唐宋の遺珍国宝とかつての栄華を見てみよう。
01 正定古城には、唐代の余韻がまだ残っている
正定古城では、最も有名なのは「九楼四塔八大寺」である。その一部は歴史の塵に消えてしまったが、一部は保存されている。
隆興寺
1400年余りの歴史を持つ隆興寺には大小十余りの御殿があり、雑然としていて、勢いが盛んである。中国で現存する最大規模の北宋の木造建築群を形成している。このうち、「全中国一」 といえる文化財が6カ所ある。
摩尼殿
北宋の皇祐4年(1052)に建てられた摩尼殿は、現存する隆興寺の古建築物の中で価値が最も高い「国宝」である。ここにある四方を新しく囲んだ建築は、中国の建築学者梁思成にかなり珍しい例とされている。
五彩壁面塑像北向観音
摩尼殿の自在観音は高さが3.4メートルで、左足が蓮の花を踏み、右足が左足の上に乗せ、両手が膝を抱き、体が少し前に傾いて宋代建築の五彩壁面の中に正座している。これはかつて 「東方美神」 と誉められていた。
中国国内に現存する最古の宋代輪蔵
転輪蔵閣内の木製輪蔵は宋代の遺物だ。この輪蔵は南北朝時代を起源とするもので、現存するものは非常に少ないため、極めて貴重である。
龍蔵寺碑
『龍蔵寺碑』の碑文は魏書で、歴代の書道家に尊崇され、 「楷書の祖」 と称され、 「隋碑第一」 と誉められている。
銅鋳千手観音
これは中国に現存する最も高い銅鋳観音像である。菩薩像の下の須弥座は、彫刻が美しく、宋代の石彫芸術の貴重品である。
銅鋳毘盧遮那仏像
この仏像は一つの塔のような形をしていて、どの蓮弁にも1体の小さい居仏が鋳造されている。全部で1,072体の仏像があり、非常に迫力がある。
02 正定の四塔、「スタイルが違って、それぞれの特徴がある」
正定古城では、最も目を引くのはその4つの高くそびえる古塔であろう。四塔の中で、華塔が一番美しくて、須弥塔が一番古く、凌霄塔が一番高く、澄霊塔が一番秀麗である。
広恵寺華塔
「状と構造から見ると、この華塔は海内の孤例かもしれない」と、広恵寺の華塔の奇抜な装飾は建築学者の梁思成が見ても驚嘆させられる!
開元寺須弥塔
須弥塔は、正定四塔の中で一番高いものだ。須弥塔は、正定四塔の中で一番高いものです。2005年、須弥塔を修理する時に偶然にも塔刹で1つの珍しい 「天宮」 が発見され、須弥塔の創建、倒壊、また再建の歴史が記録されている。現存の塔身は清の康熙年間に再建されたものである。
天寧寺凌霄塔
凌霄塔は平面が八角形を呈し、9段のレンガと木の混合構造の楼閣式の塔である。この塔の第4層の中心部には塔頂に直行する木質の通天柱がある。このような構造は、中国に現存する古塔の中では唯一のものである。
臨済寺澄霊塔
ここは仏教臨済宗の祖庭であり、正定四寺の中で唯一香火を継続しているお寺でもある。また、毎年はるばる祖庭にやってきて古塔を参拝する日本の臨済宗の信者もいる。
03 正定県の文廟、「現存する中国最古の建築物」
文廟は、孔子を記念する祠廟建築である。大成殿には、孔子、四配、12哲の像が祀られている。文廟の大成殿は中国国内で数少ない五代建築の遺構である。
04 陽和楼、「九楼の頭」
中国は歴史的に有名な楼が多いが、陽和楼ほど文化に影響を与える楼はないかもしれない。元代には、多くの文人や雅士が好んで陽和楼に登り、酒を飲み、詩を詠み、やがて元曲の揺籃となった。
05 馬家大院、「元曲博物館」
正定はなぜ中国の「元曲の里」と呼ばれるのか。正定古城の馬家大院で答えが見つけられるかもしれない。この清末民初に建てられた四合院式の旧邸宅は、現在河北正定元曲博物館となっている。
06 正定城壁、「明代城壁遺存」
正定城壁は、1600年余り前のものであり、今でも8000メートル余り残っており、珍しい明代の城壁の遺存でもある。1963年、残った古い城壁は滹沱河の大洪水を防ぎ、正定城の庇護者とも言える。
南門城楼に登ると、北には古街、古寺、商業ビル、民家を一望することができ、遠近の風景は一瞬で正定の独特の雰囲気に触れる。
地味な中国の小さな町に、国宝がぎっしりと隠されている。一度行ってみないか。